少し前にふらふらと立ち寄った本屋で「日本の歴史」を購入した。
日本の歴史を漫画でわかりやすく書いたもので、小中学生用のものだ。 長男から学校で歴史の勉強が始まったという話を聞いて、 自分が子供の頃、この本が欲しかったことを思い出した。 私にとってこの本は幸せな家庭の象徴で、 親が子供のことを大事にしているんだなぁと感じさせるものだった。 当時の自分の過ごしている家庭はといえば、 親が私のためを思って何かを買い与えることなどほとんどなく、 「欲しい」という言葉さえ発することができない状態だった。 バービー人形やおもちゃの家、アクセサリー、アイドルみたいな服。 憧れたものはいったいどれだけあっただろう・・・。 子供が好きなオムライスやハンバーグの晩御飯。 他の家庭では当たり前のものが私の家庭にはなかった。 でも今の自分はこうやって自分の欲しかった物を買うことができる。 もう自分の気持ちを抑えつける必要はないんだな・・・。 なんともいえない満たされた気持ちになった(^ー^) 心の傷は根深く、どんなに消そうと思っても消すことができない。 でも違う道を歩むことで少しずつでも 癒していくことはできる。 今の私はオムライスもハンバーグもたくさん作ってあげられる。 長男の欲しいものを買ってあげることも、一緒に遊びに行くこともできる。 そしてたくさん話を聞いてあげることも・・・。 私は子供たちと一緒に、幼い頃に止まったままになっていた心の人生を もう一度生きなおしている・・・。 ⇒「うつ病主婦の1日」へつづく |
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私の育った家は、絵に描いたようなアットホームな家庭でした。父は仕事が終わると飛んで帰ってくるし、母は専業主婦でいつも手作りの料理を出してくれた。それでもこんな風に不満と問題を抱えて、心の病を抱えて育ってしまうんですよね…。思い起こせば外食時、「お兄ちゃんは好き嫌いが多いから…」という理由でいつも兄優先でお店を決めてました。当時私が嫌いだったカレーも「これならお兄ちゃんが好きだから。それに早く出てくるし。」という理由で何度もカレーのある店に。私の食べたい天丼など時間がかかるものはほぼいつも却下でしたよ。私も好き嫌い多かったのですが、女の子は何でも食べられなきゃ困るでしょ?と母に言われ、食卓でいつまでも食べられないトンカツを前に泣いていた私…。(兄が食べられないものは残して当然でした。)1歳上なだけだから、兄には「お兄ちゃんだから譲ってあげなさい」など言わず、兄に兄らしいことをしてもらった覚えなどないです。それでも兄は男だから、長男だから、優遇されて当然なんですよね。法事の時も兄は父の近く、私だけ小さいイトコにまみれて最下位の席でしたよ。小学生の頃から法事の時などは、朝早くから母と一緒に準備に走り回り、昼間は小さいイトコたちの子守をし、途中からは大量の皿洗いを。もちろん兄は何もせず(アンタは招待客かと言いたいくらい、これは40間近の今も変わらず)。母としては「長男のヨメになっても困らないように」という教育だったようですが、そんなだから(反抗心から?)、こんな遠くまでヨメに来るハメになったんでしょうね。(苦笑)親の老後は兄にみてもらいましょう。
やこさんへ
兄弟間で育て方が違うというのは、
子供にとってはすごくショックが大きいですよね。 親からしてみれば自分なりに一生懸命考えて育てたつもり。 でも必ずしもその思いがそのまま子供に届くとは限らない。 だから私は、「自分がしてあげたいこと」ではなくて、 「子供がしてほしいこと」をできるだけ優先するようにしています。 「自分が何を伝えたい」ではなく、「子供がどう受け取るか」 兄弟とはいっても1人1人、考え方も性格も違いますから・・・。 完璧な育児などできないけど、 できるだけ孤独感や疎外感を感じる子供がでないように・・・^^ 親は一生勉強ですね。 |
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