子供の頃の記憶に、弟が母親の膝に乗っている姿を見ている自分がいる。
その記憶にはなんの感情もないが、 おそらく私は自分も膝の上に乗りたかったのだろうと思う。 でも、それを言うことができない…。 言っちゃいけないと思っていたのかもしれない。 母親の膝の上というものが、子供にとってどういうものなのか正直よくわからない。 なんせ乗った記憶がないから…。 でも一生懸命膝を取り合う長女達を見ていて、 とても大事なものだということはなんとなくわかる。 だから、私はできる限り膝に乗せるようにしている。 3人いるから、なかなか全員が満足いくまでというのは難しいけど、 それでも誰1人としてあぶれる子が出ないように…。 誰1人として愛情をもらうことを我慢する子が出ないように…。 不思議なもので、子供たちの満足そうな顔を見る度に、 過去の自分が癒されていくのです。 寂しい寂しいと泣いていた過去の自分。 子供たちが大きな声で何かを要求する度に、 過去の自分が癒されていくのです。 言いたいことが言えず、 一生懸命母親に気に入られる子供を演じていた過去の自分。 ああ・・・私もきっとこんなふうにしたかったんだろうなぁ・・・。 ずっと不安だった育児の世界。 恵まれない環境で育った事を恨み、 普通の家庭で育ってたらこんな苦労しなくて済んだのに・・・ 普通の家庭で育ってたらこんなことで悩まないはずなのに・・・って。 でも気がつけば、そんな恨み言も忘れてしまうほど、 毎日の生活が楽しくなっていて、苦労を苦労とも思わなくなっていた。 子供の心をひとつ満たすたびに、自分の心の傷もひとつ消えていく。 長男に子供ができたら、その可愛い可愛い顔に、 やっぱり小さな頃の長男の面影を探したりするのだろうか? 休みの日にはちょっと預かったり、運動会に行って応援したり、 敬老の日には祝ってもらったり・・・。 健康で長生きして、たくさんたくさん孫の顔がみたいな。 たくさんの赤ちゃんを抱っこしたい。 まだまだ自分の子供も赤ちゃんなのに、 こんなことを夢見るのはおかしいかもしれないが、 この幸せをずっと伝えていけたらいいな・・・。 子供がいるのって大変なだけじゃないよ。 とても幸せなことなんだよって・・・(^ー^) |
いつも読ませていただいて、共感することがとても多いです。
私も、妹二人が母の膝に乗っていたり、抱かれているのを、寂しい気持ちをを我慢して見ていた記憶しかありません。 そして、自分の子供たちが毎日一日中、私にベッタリ甘えてくることに戸惑い、困惑し… 自分の子供への愛情の注ぎかたがわからない… こんな私が母親でごめんね…と自分を責めてばかりいました。 今も、きちんと子供たちに愛情が注げているのか、子供たちの心を満たしてあげられているのか、とても不安です。 でも「子供たちが満足そうな顔」をしていたら、「心が満たされている」と思ってよいのですね! 「子供たちの心が満たされると、自分の傷も癒される」私もいつか、そう言える日がくるように、頑張ろうと思います。 ありがとうございました。 NoTitle
私、まだまだ未熟です
癒されるどころか、何故自分はこうして愛されなかったのだろうと 余計悲しくなります 物心付いた頃には、母のぬくもりはありませんでした 私も母の手が目の前にあって、触りたいけれど、触れない そんな記憶があります 私が娘くらいのときは、もしかしたらたくさん抱っこもしてくれたのかもしれません 記憶がないのが、辛いです そして、もっともっとと、抱っこを要求する娘を見て、 自分もまた、きちんとぬくもりを感じさせてあげられてないのではないかと不安です 赤ちゃんはこういうものだと分かってはいても不安です 自分が欠陥品のような気がするから その自分の愛情にも欠陥がある気がするから コメントありがとうございます
>あつさんへ
お返事が遅れてすみません。 私も長男の時は本当によく泣きました。 長男が寂しそうにしていれば自分の努力が足りないのだと自分を責め、長男が笑っていても、無理をしているのではないかと心配になる。 でも最近はようやく、他のお母さんと比べてどうのこうのというより、「自分は精一杯頑張ってる、だからそれでいい」って思えるようになりました。 病気になってもこれだけ頑張ってるんだから、自分はすごいんだ。 失敗もたくさんするけど、誰よりも子供のことを思ってるからいいんだって。 どれくらい愛情が足りているのか調べる機械はないけど、最近は1日1回全員を大笑いさせるようにしています。 イライラして怒ってばっかりの日でも、いちど大笑いさせることができれば今日もよく頑張ったことにしよう!と^^ 自分が甘えたかったぶん、たくさん子供たちを甘えさせてあげてくださいね。 私も最近はもっぱら子供たちに甘えさせてもらっていますが・・・^^ >ゆうさんへ 自分のどこがいけなかったのだろうか・・・? なんで大事にしてもらえなかったのだろうか・・・? 考えれば考えるほど悲しくなりますよね。 私もずっとそこから抜け出せずに苦しみましたが、最近はその不幸の連鎖を止めることにこそ意味があるような気がしています。 子供が大きくなって、私よりも幸せな家庭を築くことができ、 幸せな家庭からまた幸せな子供が生まれる・・・ それがずっと続いていくってなんかいい感じじゃないですか? もっともっとと愛情を求めるのは、足りないからじゃない。 それだけゆうさんを好きだってことですよ^^ 大好きだからいくらでも一緒にいたい。 ゆうさんをちゃんと母親として認めてるってことですよ。 まだまだツライかもしれませんが頑張りましょう(^ー^) スキンシップ
スキンシップって大事ですよね。
僕は両親から抱っこされた記憶がありません。 いつも、遠巻きに見られていたような記憶。 幼稚園の頃には、両親とは一緒の部屋でなくて、 祖母と一緒に寝ていました。 意識には上っていなかったのですが、 小学生高学年まで、おねしょやチック症状が 止まらなかったのは、満たされていなかったんだろうなと 思います。 うっちーさんへ
幼稚園の頃ではまだまだ両親に甘えたかったでしょうね。
その時その時で怒ったり泣いたりして発散して、精一杯親に受け止めてもらって・・・ そんなふうにできたらもっと違う自分になっていたのかもしれませんね。 でも、人生まだまだ長いです。 子供の頃の寂しさを忘れるぐらいこれから先、楽しくて楽しくて仕方ない時がくるかもしれません。 希望を捨てずにいきましょうね(^ー^) |
|
| ホーム |
|