初めての育児が苦しかった理由・その5
初めての育児が苦しかった理由・その5

「欠点が許せない」

赤ちゃん時代というのは、ある意味放っておいても成長する。
ただ寝る、泣く、飲むを繰り返していただけだったのが、
寝返りを打つようになり、歩くようになり、話すようになる。

ストローで飲む練習、着替え、オムツのトレーニング・・・。
かかる時間は違っても、いつかは皆同じようにできるようになる。

しかし、年齢が上がっていくにつれて、得意不得意が出できて、
どれだけ練習してもできるようにならないことが出てくる。

自分だって、何から何まで器用にこなしていたわけではなく、
むしろ、苦手なことが多い、なんの取り柄もない子どもだった。

しかし、赤ちゃん育児からの延長なのか、いつのまにか、

「何でも練習すればできるようになる」

という思い込みができてしまった。

そのため、ご飯の食べ方、箸の持ち方などの日常的なことから、
うんていや鉄棒などの運動、楽器の演奏から絵の書き方まで、
すべてのことに対して、「やればできる」と言うようになってしまった。

何でも簡単に投げ出し「できない」と言う長男に、
「練習しないからだ」「根性がない」などという言い方もした。

言われる長男のほうも、やる気を出すどころか反発したり、グズグズしたり・・・。
そんな態度にさらに怒りがこみ上げる。

「あんたのためを思って言ってるのに!」
「あんたのためにやってあげてるのに!」


気がつけば、大嫌いな母親と同じ言葉まで使っていた。

「どうして○○ちゃんのようにできないの!」

大事に大事に育ててきたはずが、どんどんどんどん亀裂が入る・・・。

頑張れば頑張るほど空回り。
頑張れば頑張るほど悪い方向に進んでいってしまう。

いったいどうすればいいの・・・?
私のどこがいけないの・・・?
こんなに頑張ってるのに・・・。

深い深い迷路に迷いこんでしまったような気持ちだった。。。


「できなくていい」へつづく
【2009/05/02】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
できなくていい
双子が生まれるまでは、私は長男育児の苦しみから抜け出せていなかった。
だから、長女のことも長男と同じように育てようとしていた。

毎日散歩に連れて行き、部屋は常に清潔に・・・。
しつけをしっかり、病気をさせないように・・・。

でも、うつ病と闘いながらの育児は思うように体が動かず、
そのことが新たな悩みとなった。

それが双子が加わったことにより、

「頑張ればできる」ことも「絶対不可能」に変わった。

毎日散歩も無理、部屋を片付けている暇もない。
オムツとミルクだけで精一杯で、しつけだとか余計なことを考えてる暇がない

泣いたら抱っこ? 寝かせるのも抱っこ? 顔を見ながら授乳?

3人いたら 絶対無理・・・

こんなことでいいんだろうか・・・?
これできちんと育ててるって言えるんだろうか・・・?

でも、そんな不安を吹き飛ばしてくれたのが、双子たちの順調な発育だった。

アレルギーや特に心配な持病もなく、いたって健康体。
ニッコリ笑うようになり、他人と家族の区別がつくようになり・・・。

泣かせてる時間が少々長くても、母親からの愛情をあきらめるわけでもなく、
必死でアピールし続け、抱っこしてもらった時には満面の笑み・・・(*´∀`*)

そっかぁ・・・。

きっと私は無駄に頑張りすぎていた・・・。

そこから育児に対する考え方が劇的に変わりはじめた。。。


「家事は遊び」へつづく
【2009/05/05】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
家事は遊び
3人も乳幼児がいると、外出するのもひと苦労
長女は好き放題に逃げ回るし、双子用のベビーカーは重くて片手では無理。

結局1人で無理に連れて行っても危ないだけなので、
旦那がいない日はなかなか外出もできない。

そこで時間つぶしに考えたのが、

子どもたちが起きている時間に家事をやる

長男の時には手早く済ませるため、長男が寝ている間にやっていたが、
子どもが寝ている時間は自分にとっても大事な休憩タイム。
ぐったりするも良し、パソコンやるも良し・・・自分の好きなように使う。

そして、掃除機や部屋の片付け、洗濯物干しなど、
そういったものはあえて子どもたちと一緒に・・・。

子どもたちも、掃除機を追い掛け回したり、洗濯のハンガーを投げたり、
引き出しの中を荒らしたり、好き放題に暴れて大満足(^∀^)
長女はトイレ掃除もお風呂掃除も積極的にお手伝いしてくれる。

爪切りも、寝ている間じゃなくて起きている時に、
「おてて貸して?」と3人を順番に回る。

もちろん、皆嫌がって逃げるが、これも立派な追いかけっこ。
1度に終わらせようとせず、数日かけてのんびりやっている。
無理矢理は危ないからね(^ー゜)

昼でも夜でも、基本は

子どもが寝たら自分も寝る

うつ病主婦たるもの、やはり無駄な力は使っちゃいけません(笑)
疲れがとれればイライラも減ります。

じっくりじっくり手間と時間をかけた長男育児。
手抜きと知恵で乗り切ってる双子育児。

どちらの子どもたちも同じように成長していってます。
どうせ同じなら、やはりラクでイライラしない育児のほうがいいですね^^


「同じ箱には入らない」へつづく
【2009/05/09】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
同じ箱には入らない
初めての育児の時は、何かにつけて「標準」だったり、
「皆と一緒」ということにこだわっていた。

皆と違うということは、育児法が間違っている・・・
あるいは母親の出来が悪いからだという考えを持っていたのだ。

・・・いや、正確に言うと、

出来の悪い母親だと他人に思われる・・・

そのことが不安で怖かった。

でも、現在長女と双子を見ていて、育て方うんぬんよりも
生まれ持った個性というのはすごく強いんだなと実感している。

荒っぽいことはせず、わりと穏やかな性格のえなり三男。
他人のことはお構いなしに自分の道を突き進むゴルゴ次男。
頭の回転が速く、なんでも器用にこなす長女。

好きなテレビも好きな遊びも、好きな食べ物もみんな違う。
興味を持つことも、得意な分野もみんな全然違う。
こんな3人をまったく同じ枠にはめようと思っても絶対無理だろう。

同じ環境で育てていても、三男はやたらと肌が乾燥するし、
次男は首のところがムレてよく赤くなっていた・・・。
同時に風邪をひいても、片方は症状が重く、片方は軽く済んだり・・・。

何もかもが母親の責任、母親の管理の仕方が悪い、
結局はそんなものはアテにならない。

100%完璧な環境なんて有り得ないのだ。

孤独な育児をしているとどんどんどんどん視野が狭くなる。
そして知らず知らずのうちに考えが偏っていってしまったり・・・。

好きでもないことを押し付け、できなくてもいいようなことを押し付け、
個性を削り続けて手に入れた「標準」というものにどんな価値があるというのか?

何もわからないばかりに長男にはたくさん苦労をさせてしまった。
でも、だからこそこれから先は、長男の良いところをたくさん認めようと思う。
「標準」に合わせる育児じゃなく、個性を認め伸ばす育児をしたいと・・・。

それと同じように、私もまた決して「標準」である必要はない。
私は私の個性を生かした育児をし、自分の生きたいように生きればいい。

うつ病主婦ならうつ病主婦として・・・
元気になったら元気な主婦として・・・(^ー^)


「可愛い子には旅をさせろ」へつづく
【2009/05/11】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
可愛い子には旅をさせろ
大勢の子どもがいると大変というイメージを持たれがちだが、
初めての育児、1人っ子育児ならではの大変さもある。

私が1番実感しているのは、他人との関わりが持てなかったことと、
見守る勇気が持てなかったこと。

双子たちは生まれた時からいろんな人に囲まれていて、
おもちゃを取られたり、押されたり踏まれたり・・・。
眠いときに大声を出されたり、呼んでもすぐには誰も来ない・・・。

こういう環境の中にいることで、自然に打たれ強くなっていっている。

ちょっと押されたり踏まれたりされてもケロッとしてるし、
嫌ならそれを避けたり、助けを呼ぶ術が自然に身についているのだ。

また、長女と長男の決定的な違いが、覚えていく言葉の種類。
長男は「靴」「ご飯」などの名詞が多かったが、
長女は「こんにちは」「貸して」「ごめんね」など会話から覚えていく。

親がわざわざ「こういう時はこう言うんだよ」と教えなくても、
知っている人にあった時には「こんにちは」とおじぎをするし、
家族の誰かが出かけていく時には「いってらっしゃい」と手を振る。

私は長男を育てている時、あれやこれやと授業のように教え込んだ気がするが、
肝心の私が他人との接触を避け、つながりを持とうとしていないのだから、
長男だけに「もっと上手に人付き合いしなさい」と言ったところで無理というもの

また、なんでもかんでもすぐに助け舟をだしてしまったことで、
長男の自分で解決する力を削いでしまっていたような気がする。

長女も双子も、困ったことがあってもすぐに助けは来ない。
だから、例えば高い位置にある物が取りたいが取れない、
体がつっかえて前に進めないなど、自分で解決するしかない。

退屈した時も、長男は常に私に「遊んで?」とせがんでいたが、
長女や双子はせがんでもダメな時は自分で考えて遊んでいる。

可愛い我が子を助けてあげたい、守ってあげたい・・・。
だけど子どもは一生自分の手の中にいるわけではない。
だから子どもを思えばこそ、見守る勇気が必要なのだ。

私もずっと勘違いしていたが、
赤ちゃんにとって「泣く=悲しみ」ではない。

すぐに助け舟を出さずに「はいはい、ちょっと待っててね」と、
明るく返事をしてあげることできっとちょっとずつ強い子に育つのだろうと思う。

プラス思考の子どもに育てないのなら、自分がマイナス思考を捨てること。
子どもは親の説教より、親の姿を見て育つ。
だからこそ自分が変わらなければいけなかったのです(^ー^)


「巡る」へつづく
【2009/05/14】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
巡る
双子が生まれてから何度も何度も限界を感じた。
もう無理だ…。もうダメだ…。

長女だけだったらなんとかなったかもしれない。
だけど、うつ病の私が3人の面倒を見るなんて、やっぱり無理だ …。

そんな私を救ってくれていたのはたくさんのでした。

双子を連れて歩いていると、とにかくよく声をかけられる。
「大変だね」「頑張ってね」「うちの孫も双子でね…」
そんなふうに知らない人たちが声をかけてくれる。

そして、旦那や長男も育児をする時間が増えたことで、

「長女はなんでもイヤイヤで困るなぁ…」
「三男は食べるのが遅いなぁ…」
「次男の人見知りなんとかならないかなぁ…」など、

1人だったら落ち込んでしまうようなことも笑いのネタになった。

不思議なもので、同じ苦労をしていても、その頑張りを認めてくれる人がいたり、
苦しみを共有する人がいるだけで、心も体もずいぶん軽くなるものだ。
逆に言えば、だからこそ、

孤独な育児はとてもツラく苦しいのだ。

双子を産んで後悔したこともあった。
自分の選んだ道は間違っていたんじゃないかと悩み苦しんだこともあった。
だけど双子だからこそ乗り越えられたのだろうと今は思う。

双子の育児はどうあがいても誰かに頼らなければやっていけない。
孤独な状態では不可能なのだ。
気に入らなくても誰かの手を借り、頭を下げてお願いしなければいけない。

そして実感する。
手伝ってくれる人たちのあたたかさを…。

長男育児ではたくさんの苦労をした。
でもその苦労のおかげで、うつ病で頭が働かない状態でも長女の育児ができ、
苦しみながらも長女を育てたおかげで、育児のカンが戻り、
さらに困難な双子の育児を乗り越えられた。

そして双子のおかけで、私の育児の問題点、思考の歪みに気づくことができ、
長男育児の苦しみから解放された・・・。

結局私は子供たちに救われているのだなぁ…と思う。

どんなに苦しい過去であろうと、その日があったからこそ今がある。
たとえ意味などわからなくとも、たとえ価値や理由などわからなくとも、
ただ生きる・・・ひたすら生きる・・・。

それでいいのかもしれない・・・。


「うつ病ハウスの現在」へつづく
【2009/05/17】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
うつ病ハウスの現在
うつ病主婦のマイホームは、ほとんど全方位を家に囲まれている。
そのため、パジャマで庭をウロついていても見かけるのはお隣さんだけ。

この家に引っ越してきた頃は、まだ今よりうつ病患者らしい状態で、
できるだけ他人との接触を避けたかったので、ちょうど良かったのだが、
1ヶ月程前からこのうつ病ハウス近辺に異変が・・・。

まず家の西側にあった使われていない倉庫が取り壊し。
長男の友達一家がここに家を建てるという話は聞いていたのだが、
早朝から鳴り響く破壊音と、強烈な振動・・・

いやぁ・・・ビックリです・・・。

しかし、何が1番驚いたって・・・取り壊しが終わってみたら、我が家が

西側道路から丸見え状態になってる?( ̄Д ̄;)

ちょっと庭で日向ぼっこしようにも、西側道路を行き交う車、自転車からモロ見え。
道路傍でおしゃべりしてるご近所さんにすぐ声をかけられてしまう・・・

ゲロまるけパジャマの私はいそいそと家に引っ込むしかない・・・( ̄∀ ̄;)

そして、この取り壊しから約半月後、
今度は左前のおばちゃん家も建て替えのために取り壊し作業に入った。

これで、前からも、右からも丸見えになってしまった我が家
今までひっそりと人目につかないように暮らしていたのに・・・。

でも、取り壊しは悪いことばかりでもなく、右も前も建物がなくなったことで、
家の中がとても明るくなった

明るい場所にいると、それだけで元気が出ますね^^
日に当たる生活はとても健康的なんだなと実感。

今は毎日、工事の進んでいく工程を眺めています。

解体もすごく面白くて、おもわずビデオに録画してしまった私だが、
家を造っていく過程もすごく興味津々。

工事のおじさんたちが毎朝やってくるのを密かに楽しみにしている。
長女も「工事」という言葉を覚えたゾ(^Д^)


「うつ病再発か!?」へつづく
【2009/05/20】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
えなりがイケメンに!?
生まれた時は1,600gとおもいっきり未熟児だったえなり三男。
それが我が家に来てからみるみるうちに体重が増え、
気がつけば保健師から注意を受けるほどのおデブに…

その後も、身長が伸びないせいか、動いてるわりにちっとも痩せず、
「きっと太りやすい体質なのだ」と思っていた。

それが9ヶ月頃から急に食欲が落ち、食べる量が激減。
長男も長女もこういう時期はあったが、
大抵2?3日もすれば元に戻ってまたバクバク食べていたので、
まぁ満腹感がわかるようになったということだろうとあまり気にしていなかった。

それがいつまでたっても元に戻らない…。
最初はガッつくが、半分くらい食べるともうお腹が膨れてしまうようだ…。

隣では完食したにも関わらず
「足りねぇ?!」と言わんばかりにゴルゴ次男が吠えている
そういえば、長男も長女もいつも吠えていた…。

もしかして…お前ら、満腹中枢壊れてねぇ!?Σ(゜□゜|||)

そうだ…、まともなのは、えなりで、
えなりが食べている量が適量なのかもしれない…。

つまり、あの三人は食べ過ぎ…

そういえば長女は最近またデブってきた…。
長男もずっとややぽっちゃり気味だったし…。
やっぱり食べ過ぎなんだね…( ̄∀ ̄;)

まぁ…、でも長男も今ではすっかり標準体型だし、
そんなに気にする必要もないか…。

そんなこんなで、食べる量が減り、だんだんスリムになってきたえなり三男。
以前は雪だるまか相撲取りかというくらい、顔のパーツが肉に埋もれていたが、
アゴのラインがくっきりしてきて、首ができた

そうすると、穏やかで癒し系だった顔もややキリッとした感じになり…

あれっ、意外にイケメンじゃね!?(゜∀゜;ノ)ノ

肉の量で、こんなにも人の顔って変わるのね…。
改めてビックリ。。。

イケメン三男の顔に見慣れてきてから、
数ヶ月前の太っている写真を見て今度は逆にビックリ!

顔が2倍ぐらいある??…つうか、輪郭壊れてる!?

その時にはその顔が可愛いと思ってみていたが、
今見ると大福に小豆を3粒乗せたような顔がおかしくてたまらない(≧∀≦)

この先どんな顔になっていくんでしょうねぇ?。楽しみです


「痔と格闘する日々」へつづく
【2009/05/23】 | 双子の育児 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
感情のままに
子供は皆そうなのかもしれないが、長女はほんとに喜怒哀楽がはっきりしている。
笑う時は大きな口を開けて笑い、怒る時はひっくり返って怒る。

ある日、家族で大きな公園に遊びに出かけた時のこと。
目の前で4?5歳くらいの男の子が結構すごい勢いでコケた。

びっくりして、慌てて近くに親がいないか確認した私。。。

幸いすぐ近くに親らしき人がいて、こちらにやってくるのが見えた。
ホッとして、再度男の子のほうを見ると、

「大丈夫?」と長女が駆け寄って声をかけている。

あっ・・・・と思った。

そうだよね・・・親を探すことより、本人の状態を確認することのほうが先だ・・・。

私は無意識に、近くに親がいるなら見て見ぬふりをしようとしていた。
面倒なことに巻き込まれたくない・・・とか・・・。
そんな自分を恥ずかしく思った。

長女は反抗期だし、赤ちゃん返りもあって、よく私を困らせる。
もう嫌だ・・・相手してられない・・・そう思うことも多い。

でも、感情のままに生きている長女を見ていて、
ズルい大人になってしまった自分を反省することも多い。

「大丈夫?」「ありがとう」「ごめんね」「可愛いね」・・・

うつになってから、他人との接触を避けるようになり、
当たり前の会話がどんどん難しくなってしまった私に、
長女の話す言葉たちはとても温かく感じる。

言葉っていいな・・・会話っていいな・・・


「無理して笑う・・・(´∀`;)」へつづく
【2009/05/25】 | 長女の育児 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
うつ病母のお弁当
うつ病になってたくさんのものを失くした。
大好きだった掃除、仕事、友達との会話・・・。

当たり前のことが当たり前にできない悔しさは相当なもので、
鉛のような体の重さはとても口で説明できるものではなくて、
普通にできる人々をただ黙って見ていることしかできなかった。

でも、そんな私がこだわり続けたものがある。

それが・・・長男のお弁当。

私がまだ仕事をしていた頃、長男は学童に入っていた。
学校が終わった後、そこで親が迎えに来るまで待っているのである。

普段は学校で給食を食べるからいいのだが、
春休みなど、学校が休みの時はお弁当持参となる。
夏休みともなれば約1ヶ月半・・・。

学童では業者に弁当を注文することもでき、利用している人もいたが、
私は一度も注文したことがない。

部屋の掃除も、料理も、「おかえり」の返事も何もできなくなった自分。
だけど、それは決して長男が嫌いになったからじゃない。
だからどうしても何かひとつ、自分の愛情を表現できるものがほしかった。

毎朝台所に這いつくばり、涙を流し、弁当を詰め続ける。
料理をすることができなくなった自分にとってこの1ヶ月半は地獄である。

だけど、たとえ冷凍食品のオンパレードでも、オシャレじゃなくても、
この弁当箱に詰めて持たせてやる・・・

くだらないこだわりだ・・・
こんなことをしても意味がない・・・

だけど、他のことが何もできなくなっても、絶対にゼロにはなりたくない・・・。

そんな生活は長男が3年生の終わり頃まで続いた。

現在は学童には行っていないので、そんなふうに長期間弁当を作ることはないが、
遠足や校外学習の時には当たり前のように私の作った弁当を持っていく。

「今日の弁当は豪華だったなぁ?」
「今度は違うおにぎりの具がいいなぁ」

長男は私の弁当作りの苦労など何も知らない。
だけど、それでいいのだ。
母親の弁当の味・・・それさえ覚えていてくれれば・・・。

私の唯一の自慢だ。


「転校のその後」へつづく
【2009/05/30】 | 長男のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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