この、怒りを分析する作業は何日も続いた。
私は精神科医でもなければカウンセラーでもないのだから、 もちろん、簡単に答えなど見つかるわけがない。 でも、きっとどこか突破口になるところがあるはずだと信じていた。 私が自分の「怒り」にこだわったのは、 自分でも原因のわからない怒りが多かったからである。 ブチ切れていろんなことをわめいてるわりには、 その時話している内容は無意味で、本心は別にあったりする。 一生懸命説明しながら、 違う・・・そんなことを言いたいんじゃない・・・ でも何を言いたいのか自分でわからない。 そう思うことも多かった。 発狂して暴力を振るいながらも、 こんなことしたいわけじゃないのに・・・! と叫んでいる自分がどこかにいるのである。 例えば何気ない旦那の態度にブチ切れたとする。 長男が質問をしたのに返事をしないとか、 話をしている内容に納得いかないとか、 表情がすごく怒っているように見えたとか・・・。 それ自体は全然たいしたことではない。 よくあることなのである。 ただ、これはそれまでコツコツと溜めてきた火薬の着火剤になる。 つまり、いくら怒ったときの状況を分析して原因を探ったり、 解決策を練ったりしても意味がないのである。 根本的な原因、本当に言いたいことは、もっと以前にあるのだから・・・。 この怒りの原因を集めだしてから爆発するまでの間のズレ。 それが、私と旦那、あるいは私と長男の間に大きな溝を作り続けていた。 こんな関係が続いていれば当然、旦那や長男から見る私は、 なんで怒っているのかわからない、いつ怒り出すかわからない 理解不能な人になってしまう。。。 逆に私から見る旦那や長男は、 何度話しても、何度説明しても同じ事を繰り返す 理解のない人になってしまう。。。 ・・・そう、本当に改善すべきは、「理解のない旦那や長男」ではなく、 「自分のことを理解できていない自分」の部分だったのである。 ⇒「前進か後退か・・・」へつづく |
文章にすると、私はとても冷静に分析を続けているようにみえるが、
実際はこの作業に1ヶ月以上を費やしている。 そしてその間にも事件は起きていた。 ある日、長男と私で「近くの大型スーパーに行きたいね」という話になった。 そしてそれを旦那に話してみたのだが、相変わらず旦那は返事がない。 もちろん、それはわざと無視をしているのではなく、 どうしようかなぁと考えていて返事をし忘れただけのことで、本人に悪気はない。 しかしその日の私はこれにプチッときてしまった。 そしてイライラした気持ちを引きずったままスーパーに行ってしまった。 そこで今度は長男が「2階に行こうよ」としつこく言い始めた。 そこで私の中の何かが騒ぎ始めた。 さては以前にも元夫と来たことがあるんだな? 元夫との楽しい思い出に浸ろうってのか? ふざけんじゃねーぞ! ・・・もうこうなったらおしまいである。 返事をしなかった旦那は、とても冷たい、大人気ない、頭が悪い、 何もいいところがない・・・ 私の病気を治したいだなんだ言って、何もできない嘘つきだ。 ああ、なんでこんな人と結婚してしまったんだ・・・。 長男は、何かと言えば元夫のことを思い出し、 元夫のためなら私に平気で嘘をつく裏切り者だ。 私のことを利用するだけ利用して、内心バカにしているんだ。 止まらない・・・止まらない・・・ 私がどんどん壊れていく・・・ 全身がドロドロに溶けてしまいそうだ・・・ 悪魔に精神を乗っ取られて自分が消えていく・・・ 私はとうとう、旦那と長男に対してもパニック障害を起こすようになってしまった。 心臓がバクバクし、近くにいるだけで、体が震える。 怖さと気持ち悪さで体中に鳥肌が立つ・・・。 くそ・・・もうダメか・・・。 そしてそのことがさらに怒りに火をつける。 やっと答えが見えかけていたのに・・・ 治るかどうかの大事な時期だったのに・・・ なんで私の邪魔ばっかりするんだ! 休養が大事だなんて言いながら、家事だ育児だって全部押し付けやがって、 てめーらがいるから私の病気は治らないんだ! てめーら2人とも邪魔だ!出て行け! ⇒「目に見えない変化」へつづく |
気が付けばいつも周りは敵だらけ・・・。
誰1人として本気で自分を必要としてくれる人などいない。 私は誰からも愛されない・・・。 私が悪いわけじゃないのに・・・いや、私が悪いのか・・・ 相変わらずのグルグル思考が始まる。 何もかもがどうでもいい・・・体が鉛のように重い・・・ もう何もしたくない・・・ この4年間という長い時間の中で何度こんな思いを味わっただろうか・・・。 ただ・・・この時だけは・・・違った。 ほんの少し、ほんとにほんとにわずかにだけ・・・ 正気の自分が見え隠れしていた。 そのほんとにほんとにわずかな自分が、現れては消え現れては消えしながら、 一生懸命怒りの分析を続けていた。 そして、朦朧としたほとんど死人に近い状態の自分を動かし続けていた。 ニコリとすることもなく、ただただひたすら双子と長女の世話をする日々。 ある意味それは、自分自身でさえ理解不能な世界であった。 感情はほとんどない。 ただ同じ事を繰り返しているだけ。 わかっていることはただひとつ。 とにかく時間が過ぎるのを待て・・・ということだけ。 パニック発作を起こすため、旦那や長男には近づけない。 頼みたいことがあっても言葉を発することすら難しい。 でも発作のピークさえ過ぎれば絶対どうにかなる。 うつ病発症当時のひどいパニック発作。 私と長男はそれを乗り越えてきてるのだ。 絶対できる! ⇒「力を合わせて・・・」へつづく |
もういいや もういいや 疲れ果てちまった ![]() アルバム「Atomic Heart」より ●歌 詞 * * うつ病主婦の想い * * 何度弱音を吐いてもいい。 何度も投げ出して、何度も逃げ出して、後悔して、落ち込んで・・・ それでも諦めきれずしがみつく。 そうやって乗り越えたことは自分の宝になり、 どんなことにも揺るがない、本当の強さを自分に与える。 簡単に壊れてしまうような仮面は、もう必要ないのだ。 |
どれぐらい時間が経っただろうか・・・。
ようやく激しい怒りが治まり、気持ちが安定してきた。 でもまだパニック発作が完全に治まりきっておらず、離人症もひどいため、 このままではまたいつひどいうつ状態に陥るかわからない。 この不安定な状況を乗り切るため、旦那と長男に話をした。 姿が見えると発作が出るので、私の位置から旦那や長男の姿が見えないようにし、 離れた位置での会話だ。 長男に対して・・・ 私に嘘をつくこと、ごまかそうとすることは絶対にやってはいけない。 調子が悪くなると被害妄想が強くなるため、疑われるような行動もダメ。 私が勝手な思い込みで怒り始めた時は、 自分の潔白を、私が納得するまで説明すること。 ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、 要は「嘘をついているんじゃないだろうか?」と 疑っている状態が1番良くないということだ。 旦那に対して・・・ 自分の意見がある時にははっきり言うこと。 何もかもを私に合わせる必要はない。 可哀想だから、大変だからという自己判断もいらない。 反対されれば間違いなく私は怒るだろう。 だけど、そこで逃げてはいけない。 正々堂々、自分の意見を言う必要があるのだ。 2人に共通していること。 それは・・・嘘 おそらく私は「嘘」を「悪」だと捉えている。 嘘=裏切り=自分の敵 嘘の大きさは関係ない。 気遣いや優しさから出た嘘でも関係ない。 嘘そのものが、私の怒りを引き出すキーワードなのだ。 頭の膜がとれ、もう少し思考回路がまともになってくれば 細かいことも考えられるようになるだろう。 なんとか乗り切るんだ! ⇒「長男の努力」へつづく |
嘘やごまかしはいけないという私の提案に対して、
長男は「わかった。頑張ってみる」と言っていた。 しかし、小学生に絶対嘘をつくなというのは無理な話である。 どうしてもくだらないことで見栄を張ったり、 どうでもいいようなことを隠そうとしたり・・・。 何度も失敗や成功を繰り返した。 1度、長男が部活を休もうとしたことがあった。 明らかにそわそわしている。 そして聞いてもいないのに、ベラベラと部活の愚痴を言い出したので、 その時に再度説明した。 「部活サボリたいんでしょ? ![]() あのね、お母さんは部活をサボるならサボるでいいの。 部活に行ったフリして遊びに行ったりするのがダメなんだよ ![]() 長男は照れくさそうに笑って、 「やっぱりバレちゃうか・・・。ごめんね、嘘つくとこだった ![]() 私が勝手な勘違いで怒り始めた時にも、最初は恐る恐るだったが、 だんだんと自信を持って、 「それは違う。お母さんの勘違いだよ。」と言えるようになってきた。 繰り返し繰り返しの地道な作業。 でもそのおかげで私の不安は少しずつ解消され、 長男を疑う気持ちは徐々に薄れていった。 人によっては、「子供に無理強いしては可哀想だ」と思うかもしれない。 ただ、私は今まで旦那や長男と生活していて思ったのだ。 うつ病の人と一緒に暮らしていて本当にツライのは、 何をしてあげたらいいのかわからない・・・ ということなんじゃないか・・・と。 長男は、いつ怒り出すかわからない恐怖、 怒り始めてもどうしたらいいのかわからない不安から解消され、 見違えるように明るくなった。 子供の笑顔というのは、親にとっては何よりの栄養剤だ。 長男の笑顔がひとつ増える度に、私の重荷もひとつずつ減っていった。 ずっと不安だらけだった長男の育児。 しかし今は、失敗したり、意地になったり、どんくさかったり・・・ そんな長男の人間くささを面白いと感じられるようになった自分がいる(^ー^) ⇒「自分の苦しみが家族を苦しめる」へつづく |
旦那に対しては自分の意見がある時にははっきり言って欲しいと言ったが、
これは見事に失敗に終わったと言っていい。 ・・・というのも、私は非常に記憶が曖昧である。 時間の経過の感覚も狂っているし、 自分が話した内容を覚えていないことも多い。 そのため怒り狂っている時に、 過去に話したこととは正反対のことを言っていたりするのだが、 そのことを指摘されても、自分は言った覚えがないので、 「いい加減なこと言わないで!」・・・となってしまう。 また、「あんたのせいで私は不幸になった」 「あんたがバカだから治らない」など、常に自分は被害者であることを訴え続け、 相手の性格、思考、行動に至るまですべてを否定し、追い詰める。 そのため、言われている旦那のほうは、 だんだん自分はそんなにダメな人間なのか・・・と思えてくるらしい。 反発しようにも、肝心なことは「記憶がない」「知らない」。 これではどうにもならない・・・。 そして、最終兵器が「死ぬ」「子供を殺す」である。 これを言われてしまってはもう抵抗のしようがない。 そこまで自分でわかっているなら止めれるのでは? と思うかもしれない・・・。 だが、これが止まらないからこそ病なのだ・・・。 怒りで頭がいっぱいになってしまっている時は、 本当に相手が「どうしようもない、世界で1番役立たず」という感覚しかない。 だからこそ、平気で殴りかかり、首を絞め、包丁さえ持ち出すのだ。 私の症状が正確に境界性人格障害に当てはまるのかどうかはわからない。 ただ、この言葉を知るまで、私はまったく自分の異常行動に気付いていなかった。 理解不能な発言をしていることも、 被害者から加害者に変わっていることも、 周りの人を追い詰めていることも・・・。 「絶対に怒らないから正直に話して欲しい。きちんと受け止めたい」 そう言って初めて、旦那に教えてもらったのだ。 旦那にしてみれば、私の異常さに気付いていても、 それを言うことでかえって悪化や混乱を招くんじゃないかという心配があり、 言いたくても言えず、ただただ暴言や暴力に耐えるしかなかった。。。 恐ろしいことだ・・・。 心の病を治すのは簡単じゃない。 でも、簡単にあきらめるわけにもいかない。 大切な者を守るためにも、心の病はやはり治さなくてはいけない・・・。 ⇒「うつ病退治 第2弾」へつづく |
旦那の場合は直接ぶつかってもダメなようだったので、
少し違う方法を考えてみた。 過去に自分が怒りながら話したことの記憶を辿ったり、 旦那に聞いた話などを自分なりに整理してみたのだが、 納得できるところもあれば、 「それ、ホントに私が言ったの?」と思えるようなところもある。 正反対のこと、つじつまの合わないこと・・・ つまりは、言葉巧みにまくしたてられるので、 一見正しいことを言っているように聞こえるが、 実はあまり意味がないのでは?ということ。 うつ状態の時もそうであるが、普段の自分とは明らかに違う思考をしている。 だったら、その言葉を信じ、忠実に尽くしても無駄なんじゃないかと思った。 そこで、あえて、怒っている時の言い分は無視して、 調子のいい時のみにスポットを当てる方法 ![]() 調子が悪くなりだすと、言いたいことがあっても言えなくなる。 できるだけ、調子のいい時の会話から、 今現在何が不満なのかを探っておく。 テーブルの上がいつも散らかっている、庭の草が伸び放題など、 不満に思っていることを覚えておいて、 調子が悪くなった時に、それを行動して解決するのだ。 何で怒っているのかわからない、何が原因でうつ状態に陥ったのかわからない、 そういう時は、とりあえず原因探しは後回しにして、思いつくことを行動してみる。 要は、「何をしていいのかわからないから、何もしない」 という状態を作らないようにするということ ![]() 普段から気になっていることが解消されてることに気が付いたり、 旦那が自分のために一生懸命やってくれていることに気付けば、 多少なりとも気分は上向くはずだ。 うまくいけば、そこで本題の会話に持ち込める。 会話ができるようになれば、怒った原因、うつ状態に陥った原因がわかる。 解決が早ければ早いほど、立ち直りも早いはず・・・。 ・・・と考えたのだが・・・ ⇒「伝える難しさ」へつづく |
うつ病退治と偉そうな題名をつけたわりにはたいしたことない、
「調子のいい時に現在の不満を探る」作戦の結果は、正直・・・微妙・・・ ![]() 私が不調になり始めた時に、突然庭の手入れを始めた旦那。 あ、以前私が「庭の草が伸びてるのが嫌だ」って言ったからだな・・・と気付いた。 そして、手入れが終わって家に戻って来た旦那。 「いや?、庭がすっきりして気分がいいわぁ?。 前から気になっててさぁ?(^∀^)」 と明らかに不自然な発言・・・。 それ絶対違うだろ・・・庭のことなんか気にしたことねぇだろ・・・ てか、それ私が教えたセリフそのまんまじゃね??( ̄□ ̄;) 旦那のあまりの大根役者ぶりに撃沈です・・・ ![]() でもこの努力は決して無駄ではなく、改めて 旦那も一生懸命私に協力してくれてたんだなということを再確認できた。 今までの私は、旦那に対して なんで理解してくれないんだ!なんで何もしようとしてくれないんだ! と腹を立ててばかりいた。 でも改めて自分は「どうしてほしいのか?」ということを考えると とても難しいことに気付いた。 カーテンを開けるのか閉めておくのか、 そっとしておいたほうがいいのか、声をかけたほうがいいのか、 外に連れ出したほうがいいのか、休ませたほうがいいのか・・・ 私にしてみれば、その時によってしてほしいことが違うのは当たり前だけど、 毎回毎回違うことを言われる旦那にしてみれば、 どうすればいいのかわからなくなって当たり前。 「どうしてほしいの?」と聞かれることにさえ腹を立ててた。 そんなことぐらい自分で考えてよ! うつ病の人の対処法なんてネットで調べればいくらでも載ってるじゃない! なんで調べようともしないの? ・・・調べたところで、その日の私の気分に合った対処法なんて載ってない ![]() うつ病の本人である私がどうしてほしいのかがわからないのだから、 旦那もわからなくて当たり前。 責める必要なんてまったくなかったんだよね(^ー^) むしろ、私のほうが、しっかり自分と向き合って、 自分の素直な気持ちを旦那に伝える努力をしなければいけなかった・・・。 本当に探さなければいけないのは「うつ病の人の対処法」ではなく、 私の正直なココロです。 ⇒「うつ病と薬」へつづく |
ありのままの自分が好きになれないことが ![]() ●歌 詞 * * うつ病主婦の想い * * 本当の自分がわからない・・・。 何を求めているのか・・・どうありたいのか・・・。 本音を隠すことに慣れすぎてしまって、 本当の自分を見失ってしまった。 でも、どこかにいるんだ。 怯えて隠れている自分が・・・ 早く見つけてあげよう。 もう怒鳴りつける人はいない。 皆、私のために戦ってくれているんだ。 |
私はうつ病になってから何度かブログを書いているが、どれも長続きしなかった。
最初に書いたのは、今の旦那と再婚した頃。 ごくごく普通のうつブログで、その日の体調や診察の様子などを書いていた。 それは、やはりうつ病という得体の知れない病気になり、 どうすればいいのか、自分はこの先どうなっていくのかという漠然とした不安や、 また周囲からの理解を得られない孤独感からだったと思う。 ブログを書き始めると、同じような境遇や不安、症状を持った人との交流が持て、 自分だけじゃなかったんだという大きな安心感が得られた。 当時から、うつ病を治すために努力している人のブログもチラホラあったが、 私はそういう人のブログには目もくれず、 ひたすら落ち込みどん底の人とばかり交流を持とうとしていた。 なぜか・・・? 元気になったという人はそれだけ症状が軽かったんだという勝手な偏見。 きっと環境が恵まれてるから良くなったんだというねたみ。 まったく、見習おうとか、真似してみようという気持ちにはなれなかった。 また、不思議と、「こうしてみたらどうですか?」という 親切なアドバイスもわずらわしかった。 治したいと思っているはずなのに不思議なものだ。 でも、こういったことに心当たりのある人は多いと思う。 例えば、支えてくれている家族が 「たまには気分転換に散歩でもしてきたら?」と言う。 あるいは、カウンセラーが、「軽い運動をしてみてください」と言う。 その言葉を素直に聞けただろうか? せっかく病気を治すためにアドバイスしてくれてるのに・・・。 必要なことだから言ってくれているのに・・・。 できるわけない・・・ なんにもわかってないくせに・・・ など、とりあえず反発する気持ちが出ていたんではないだろうか。 結局この時期って何を言われても気に入らないのだろうと思う。 そういう時はひたすら落ち込み、たくさん同情してもらえばいい。 また、それが必要な時期なのだと思う。 私は、何ヶ月かそういう生活を続けているうちに 本当にこのままでいいんだろうか? という気持ちが湧いてきた。 ⇒「1度目のブログ中止」へつづく |
うつブログで毎日毎日書き続ける、愚痴や過去の恨みつらみ、ツライ事・・・。
自分の気持ちを言葉で表現するのは大事なことだと聞いたりもしていたが、 だんだんと違和感を感じるようになってきた。 こんなことをしていて治るのだろうか・・・? 1日でも早く治したいと思っているのに、全然前に進んでいる気がしない。 それどころか、せっかく自分が調子が良くなってきた時でも、 交流相手が不調だとその波に引きずられてしまうこともあった。 悪い言い方をすれば、足の引っ張り合い・・・。 皆きちんと通院して、服薬して、カウンセリングを受けているのに、 なぜ治らないのだろうか? 本当にこのままでいいのだろうか? ブログやネットにのめりこめばのめりこむほど、 外の世界に出ることが難しくなっていってる気がする・・・。 当時、ブログで知り合った人々。 1日に何十錠も薬を飲み、もっといい医者を求めて病院を転々とし、 それでも何年も治らない・・・。 仕事もしていない、親と同居しているから家事もしていない、 子供がいないから育児をする必要もない。 ・・・でも治らない・・・。 なんで・・・? 充分に休養とって、服薬しているのに・・・。 疑問が大きくなればなるほど、ブログを続けていることが虚しくなり、 結局やめてしまった。 でも、ブログをやめたところで当時の自分はなんの答えも持っていなくて、 相変わらず現実の世界はとても生きづらく苦しかった。 何をすればいいのかわからない・・・(-_-|||) ⇒「うつ病主婦の妊娠ブログ」へつづく |
1度目のブログを書いていた時に気になっていたのは、
うつ病でも妊娠を望んでいる人が意外に多いこと。 その頃は自分がまた妊娠するなんて思ってもみなかったし、 育児のツラさもうつ病のツラさもわかっているがゆえに うつ病で妊娠なんて無謀すぎる!!(@д@) と、正直思っていた。 薬をやめられないどころか、少しツラくなるとすぐに頓服、増薬・・・ そんな精神状態でどうやって子供を育てるつもりだ? 普通に健康な人でさえ育児は地獄だ ![]() 昼も夜もなく、授乳だオムツだ・・・ 買い物だろうとなんだろうと常に子連れで行かなくちゃならない。 気分転換に友達に会ったって、ぐずぐず泣かれたらおしゃべりだってできない ![]() 反抗する・・・暴れる・・・騒ぐ・・・散らかす・・・ 子供を産み育てたことがない、または産めない状況にあるから 子供を天使だとでも思ってるのか? 子供さえ生まれれば幸せになれると思ってないか? 甘いよ!!! ![]() ![]() ![]() 子供が急に具合悪くなったら? 今みたいに「動けませ?ん」なんて言ってられないよ ![]() 「人に会うのが苦痛」?? じゃあ誰が病院連れて行くんだ? ご飯は?風呂は?傷の手当ては?学校行事は? できるわけねーだろ ![]() ![]() ![]() ・・・と、そこまで極端なぐらいにうつ病での妊娠を否定していたわけです。。。 ・・・が、そんな自分が妊娠してしまった・・・(-_-;) 上記のように思っていたわけだから当然簡単に産むなんて決断は出なかった。 ( 「うつ病と妊娠?」参照 ) ネットで検索しても「産後うつ」は載っていても、 「うつ病で妊娠、出産、楽しく育児やってますv(^∀^)v」 ・・・なんて記事は当然載っていない。。。 不安・・・不安・・・不安・・・ ・・・そんな不安で再びまたすがりつくように2度目のブログを再開した。 ⇒「うつ病主婦の妊娠・出産・育児ブログ誕生」へつづく |
うつ病で妊娠した記事を書き続けていればそのうち
「私もうつ病で出産して、育てていますv(^∀^)v」 なんて人に出会えるかもしれない・・・ 少しでもラクになる方法や、病院のことや、産後のことや・・・ 何か教えてもらえるかもしれない。 かすかな期待・・・ でも、誰もいなかった・・・(T_T) 不安倍増・・・ そればかりでなく、日に日に病状は悪化を辿る・・・ ツライ・・・ツライ・・・ツライ・・・ 妊娠6ヶ月頃、「もう堕ろせない」という現実が更に大きくのしかかった。 堕ろせなくなればあきらめもつくだろうと思っていた。 でも、それは「とんでもないことをしようとしているのではないか?」 というどうしようもない不安に変わった。 もう引き返せない・・・ 問題を解決する方法はただひとつ・・・ 自分が死ぬ・・・ そんな精神状態なので、当然ブログは続けられなかった。 半狂乱になりある日突然削除してしまった。 もう何もかもがどうでもいい・・・。 時には暴れ、時には廃人のようになり、いつ死んでもいいような状態。 でも、そんな無茶苦茶な妊婦時代をなんとか乗り越え無事出産。 明るく楽しく元気に育児やってます・・・とは到底言えない。 相も変わらず天国と地獄の繰り返し。。。 ![]() でも産んだことを決して後悔はしていない。 だからこそ、今ここにこのブログがある。 けなすも良し、笑うも良し。 ここには専門的な知識は何も書いてない。 ほとんどが私の心の中の叫びや、独り言。 でも、うつ病で妊娠、出産、育児をすることの真実の姿がある。 私は今日もこの手に我が子達を抱いている ![]() ⇒うつ病での妊娠出産を知りたいという方はこちら≫「長女の妊娠・出産 」 ⇒うつ病主婦のことをもっと知りたいという方はこちら≫「うつ病主婦になるまで」 |
何度負けても 間違っても 夢は終わりじゃない ![]() ●歌 詞 * * うつ病主婦の想い * * 進んでも進んでもまったく見えないゴール 挑戦しては挫折し、挑戦しては打ちのめされ、 何度悔し涙を流しただろう・・・。 進んでいけるのか? この道を・・・ 間違っていないのか? この選択は・・・ 絶望の淵を何度も彷徨いながら、 ようやく辿り着いた子供たちとの生活。 今、我が子を抱く度に穏やかになっていく自分がいる。 いばらの道だっていいじゃない。 ずっと暗闇に1人っきりでいるよりは・・・。 |
双子の育児については、多少本で読んだりネットで調べたりしたのだが、
忙しかったり、疲れていたりでなかなか頭に入らなかった ![]() 病院でも「何か不安なことや心配なことはないですか?」と何度か聞かれたが、 正直やってみないと何が大変なのかさえわからない・・・。 困った時に考えればいいや・・・( ̄∀ ̄;) そして、いよいよ退院の日。。。 産後1ヶ月といっても、2,500gを超えたばかりなので、まだまだ小さくて細い。 病院でちょこちょこ見てたのとは違って、今度はじっくり眺められる。 あぁ・・・ほんと、毎回思うけど、 こんなに小さくても爪があったり、まつ毛があったり・・・ 全部のパーツが揃ってるんだよねぇ・・・ もぞもぞ動いてるし・・・不思議・・・(´∀`*) ・・・とそんな感動に浸っていたのはほんのわずかなひととき・・・。 1人泣いた・・・はい、オムツ替えてミルク。 ・・・と、ミルクあげ終る前に、もう1人も泣き出した。 「おお?、よしよし、ちょっと待っててね。すぐあげるからね?」 ・・・と、長女がやってきて背中にもたれかかってくる。 「おお?、ちょっと待って。危ない・・・危ない・・・。」 ・・・と、哺乳瓶が口から離れて、授乳中の子が泣きだす。 「ああ?、ごめんよ?」 ・・・と、長女が今度はベビーベッド越しに、もう1人の頭を叩いてる。 「ぎゃー!やめてー!」 突然の大声に3人一斉に大泣き・・・うぎゃーーーーー ![]() ・・・・・・・・・・・・・・・・・って なんじゃこりゃあああ!どうにもなんねぇш(`Д´lll)ш ミルク・・・オムツ・・・長女のおやつ・・・オムツ・・・ジュースこぼした?・・・ ミルク・・・晩御飯の支度・・・習字の紙がない?・・・自転車の鍵がない?・・・ 片付け・・・あ、ゲロってる・・・お風呂・・・お風呂・・・お風呂・・・ミルク・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・って こんなこと毎日やるの絶対不可能だろ!!(´Д`lll) 世の中の多胎児の母達よ・・・ あなた達は宇宙人か・・・ わし・・・うつ病患者・・・ ・・・って、そんなことこの子達に言ってもわかんないよねぇ。。。 ![]() ああ・・・私はこの先どうなっていくのか・・・ 2008年6月。総勢6名の生活がスタートした。 ⇒「大切なもの」へつづく |
長女を育てていた時の私の1番の課題は、
いかにストレスを溜めずに育児をするかということ。 長男の時と同じようにやろうと思えば、 疲れやストレスが溜まり過ぎて、すぐに具合が悪くなってしまう ![]() 身の周りの世話も、掃除も家事も、削れるところはとことん削る。 もっとちゃんとしてあげたいのに・・・ その悔しさをグッとこらえて極力体を休めるようにしていた。 それが、今度はいっぺんに3人・・・。 単純に計算しても、授乳だけで1日16回 ![]() 授乳する時は赤ちゃんの目を見て、話しかけたりスキンシップを・・・・ ・・・って、やってられるか?、そんなもん!! ![]() 長女の攻撃をいつでもかわせるようにするために、 授乳中はあえて抱っこはせず、 あぐらをかいて、その上に赤ちゃんを乗せる。 片手は哺乳瓶、もう片方は長女の相手か、もう1人の相手。 赤ちゃんには静かな環境を・・・ ・・・って、私と体格の変わらない長男の友達が常に複数人うろつく我が家。 休みの日ともなれば、5人も6人も出たり入ったり・・・ なぜか中学生までいる。。。( ̄_ ̄;) 当然、騒ぐ、暴れる、大声で笑う、雄叫びをあげる。 とにかく騒音なんてもんじゃない。。。 だけど怒りはしない ![]() 「おい、泣き出したぞ。誰か抱っこしといてくれ」 ・・・はい、使えるものは小学生でも他人の子でも使え・・・です。 産んでおいて、愛情がなさすぎる? いえいえ、愛情って イライラピリピリしながら体が壊れるまで抱っこすることじゃないよね(^ー^) 皆笑ってるよ。 赤ちゃん可愛いね? ![]() ⇒「母乳育児」へつづく |
母乳育児の大切さ、必要性はいろいろなところで言われている。
免疫が含まれている、心の安定、経済的・・・など。 母乳がスムーズに出ればそれに越したことはない。 しかし、母乳育児をするにはかなりの根気と忍耐がいる・・・。 自慢じゃないが、私は4人のうち誰1人として、 最後まで母乳を与えたことはない ![]() 全員途中で挫折している・・・ ![]() 長男と長女に関しては搾乳の仕方が間違っていた。 ・・・というのも、今回双子を出産した病院は母乳育児に力を入れていて、 産後、助産師自ら搾乳してくれるのだ。 自分ではあまり搾乳したことがない私・・・。 15分も20分も一生懸命搾乳してくれる助産師さんに感激しつつ、 なんだか申し訳ないような気持ちにまでなってくる・・・。 はぁ・・・疲れてるだろうなぁ・・・とか( ̄∀ ̄;) でも、絞り方が違えば、母乳の出方も全然違う ![]() 病院で教えてもらった通り、3?4時間に1回搾乳を続けているだけで、 母乳は順調に出るようになった ![]() ほんと、ビックリ。搾乳って大事だったんだね。 私はひたすら赤ちゃんに吸わせなければ出ないと勘違いしていたのだが、 未熟児などで直接母乳を与えられないお母さん達は皆こうやって搾乳して、 赤ちゃんが退院するまで母乳を届けていた。 長男の時は、搾乳については冊子やプリントを渡していたぐらいで、 長女の時は、指導はあったけど、ビデオを見て説明を聞いただけ。 やっぱり、乳首の持ち方、指の動かし方など、 実際やってもらわないとわからないもんだなぁとつくづく・・・。 しかし、搾乳までは順調だったが、 いざ双子との生活が始まって母乳育児を継続しようと思ったら そんな簡単にはいかなかった。。。 ![]() ⇒「子供に必要なものって何?」へつづく |
産後1ヶ月の双子ちゃんの授乳。
途中でうとうとしていつまでも飲み終わらなかったり、 片方が飲んでいる途中でもう片方が大泣きしていたり・・・(TДT ) ![]() 長女もいるので、1日中 ![]() とにかく時間がない ![]() そのうえ、吸われた乳首がいつまでもヒリヒリしていたり、 胸がパンパンに張って痛かったり・・・苦痛。 母乳やって、ミルクやって、母乳やって、ミルクやって・・・ 体力的にも精神的にも、やっぱこれってすごいストレス・・・ ![]() 一生懸命搾乳してくれた助産師さんには申し訳ないし、 せっかくある程度出てるのにもったいない気がするのだが、 うつ病主婦にとってストレスは大敵。 ぶっ倒れて面倒みれなくなったらなんの意味もない。 それで完全ミルク育児に切り替え ![]() ミルクには昔から反対する人も多い。 「今どきの若い人はすぐにミルクを与える」なんて小言もよく聞く。 でも、知り合いに完全母乳育児の人も多いけど、 よく風邪もひいているし、アレルギーの人もいる。 逆に、うちの長男は3ヶ月ぐらいしか母乳与えてないけど、 風邪も滅多にひかないし、アレルギーもまったくない。 どんなに母乳で愛情が伝わるといっても、その後の育て方で ひねくれてしまった子もいる・・・ ![]() 弟や妹ができたとたん、急に上の子に対して冷たくなったる親も多い。 母乳を与えたからって、何もかもがうまく回っていくわけじゃないのだ。 決してミルクは素晴らしいって絶賛するわけじゃないけど、 私は育児って形にこだわっても仕方がないと思う。 いくら母乳が素晴らしくても、 頑張りすぎたストレスから虐待に走っては意味がないと思うし、 母乳を与えたからといって 絶対的な愛情が与えられるわけじゃない 私は母乳を与え続けることはできなかったけど、 そのぶんの時間を子供達と遊んだり、外出したりする時間に使った。 今後のために・・・と、一時期まったく作れなくなった料理も 頑張って作るように努力を始めた。 育児は延々続くもの。 今だけの「できない」にこだわらず、自分にできることを これから先もどんどん探していこうと思う。 ⇒「風呂、風呂、風呂」へつづく |
双子が家に来ることで1番心配だったのは長女のこと。
今まで、私、旦那、長男からの愛情をすべてもらっていたのに、 双子が来たとたん急に冷たくなるのはやっぱり可哀想・・・ ![]() 「赤ちゃん返り」という言葉はよく聞く。 上の子が下の子を踏みつけたり、蹴ったり、頭に物をぶつけたり・・・。 家で悪いことをしなくても、保育園などで他の子に暴力を振るっていたり・・・。 私も近所の家庭や保育所などで、嫌というほど見てきた。 そんな子供に対して親はどうしているかというと、 「そういう時期だから仕方がない」とあきらめていたり、 逆に激しく上の子を叱ったり・・・。 うつ病経験者ならではの発想なのかもしれないけど、暴力を振るうのは、 寂しいよ?、もっとかまってよ?。゚(゚´Д`゚)゚。 って言う心の表れなのに、なんで無視したり叱ったりするのかな・・・? 双子が我が家にやってきた後、長女もやっぱり不安定になった。 長女にしてみれば突然知らない子が2人もやってきて、 全員があたふたしているし、今までみたいに遊んでもくれない。 わけわかんなくて当たり前ですよね・・・(^_^;) だから私は、3人一斉に泣いてしまった時には、 真っ先に長女のところに行くようにしていた。 抱っこしたり、歌を歌ったり・・・。 しばらく相手をしてあげれば落ち着いてまた遊びだす。 双子のお世話はそれからでも全然OK ![]() 一週間ほど長女のぐずぐずは続いたけど、それ以来落ち着いている。 もちろん100%は無理で、たまにちょっかいを出している時もあるが、 少し遊び相手をしてあげればすぐに落ち着く。 また、嫌がらせというよりは、 私の真似をしてお世話をしていることも多いようで、 「泣いてるよ」と教えてくれたり、おしゃぶりさせてくれたり、頭をなでたり・・・。 今ではもう体格も変わらないぐらい双子も大きくなっているのに、 一生懸命抱っこしようとしている姿はほんと見ていて微笑ましい ![]() 小さくてもしっかりお姉ちゃんになれるもんなんだな(^ー^) 子は親の鏡 叱るばかりが教育ではないですよね。 ⇒「昼寝はいらねぇ( ̄^ ̄)」へつづく |
長女と双子のお世話をするうえで大変だったことはたくさんあるが、
そのひとつがお風呂 ![]() 首のすわらない赤ちゃん2人と長女をいっぺんに入れるのは当然無理なので、 最初は長女がお昼寝をしている時に双子をお風呂に入れていたのだが、 いつまでもそういうわけにもいかない。 意を決して夜のお風呂に挑戦 ![]() タオル出し忘れた、バビーバスにお湯ため忘れた、着替え持ってくるの忘れた、 ミルクの時間に間に合わない・・・・と そりゃあもう最初はしっちゃかめっちゃか・・・( ´Д`;) 3人連続で入れるのは恐ろしく大変・・・ ![]() 泣いてるんだから面倒見ろ ![]() ・・・と長男にはブチ切れ、毎回戦場だった。 でもなんとかかんとか数をこなすうちに慣れてきて、 今はもうずいぶん余裕v(*^o^*)v 怒られ続けた長男も、今じゃ立派に1人で3人面倒見れるようになった ![]() そしてお風呂が終わる頃には私もクタクタ・・・。 3人を寝かせるために寝室に行くと、 ついつい疲れとポカポカ感で一緒に寝てしまう(_ _ )。o○ うつ病になってから長い間私も睡眠障害に悩まされてきたが、 寝るためにはやっぱり適度な運動と規則正しい生活が大事なんだな・・・。 以前は、しんどいと昼は起き上がれない、 運動といっても散歩する気にもならないという感じだったが、 今は朝早くから夜まで休むことなく動いているので、 眠くて眠くて仕方ない(´-ω-`)zzz 散歩も自分の健康のためには行こうと思わなかったけど、 長女が嬉しそうに走り回ってるのを見ると、 また連れて行ってあげようって思える。 双子が生まれてからは特に自由に外出ができなくなったので・・・。 大変な思いをしているのに健康になっていくというのは、 なんとも不思議なもんです(^ー^) ⇒「悩む必要はない」へつづく |
長男は小2からサッカーを習っていて、
引っ越した後も近くのサッカースクールに入った。 でもそこは以前のサッカースクールとは全然違って、結構本格的。 今まで厳しい練習などしたことがなく、 どちらかというと遊び感覚でやっていた長男。 もしかしたら途中で嫌になって辞めるんじゃないかと思っていたが、 案の定サボッたり、行ったフリをして遊んでいたりするようになった( ̄∀ ̄;) 「辞めたいのか、続けたいのかどっちなの?」と聞いても、 「よくわからない・・・」との返事。 正直、下手でもせっかく今まで続けてきたんだし、 続けることで得られることもあるんじゃないか?と思ったりもした。 友達と遊ぶのはいつでもできるし、 サッカーやめてただただ毎日遊び呆けているのもいかがなものかと・・・。 でも、最終的に話し合った時に、 「サッカーを続けたい気持ちはある。 だけど、皆みたいに上手くないし、練習はキツイ・・・。 友達と遊んでいると、楽しくてついつい行きたくなくなっちゃう・・・(┬_┬)」 と泣きながら話してくれた。 以前住んでいた所は、確かに友達はいたが、 今のように朝から晩までべったりくっついて遊んでいたことはない。 休みの日もどちらかというと、どこへも出かけず、 黙々と1人でネットをしていたり・・・。 初めてできた本当の友達・・・。 一緒にいて楽しくてしょうがないのは長男の様子を見ていればひと目でわかる。 本気で上手になりたいって思った時にはツライことも忘れて夢中になるものだ。 サッカーの練習がツラくてたまらないということは、 長男にとってはサッカーは夢中になれるものではなかったんだな・・・。 長男の人生はまだまだ長い。 好きになるのはサッカーじゃなくて、バスケかもしれない、水泳かもしれない・・・ ひょっとしたら、小説を書いたり、楽器を演奏したりするのかもしれない・・・ だったら辞めてもいいんじゃない? 思う存分遊べ ![]() ・・・ということで、6月にサッカークラブを辞め、自由の身(!?)になった長男。 それはそれは親の私もびっくりするほど、朝から晩まで遊び倒しました(笑) 厳しくするから根性が身につくんじゃない。 本当に守りたいもの、好きなものがあるからこそ、 人はど根性を発揮するのだ・・・今の私のように・・・(^ー゜)b 今しかできないこと、大人から見て無駄だと思うことにこそ価値がある ・・・私はそう思う。 ⇒「うつ病完全無視!?」へつづく |
過去記事の私と長男のやりとりなどを読んでいると、
この長男大丈夫だろうか ![]() と、心配になる人も多いと思う。 ところがどっこい、この長男も負けてないんです・・・( ̄∀ ̄;) 前夫のこととサッカークラブのことが解決し、 土日を恐れることがなくなった長男の勢いはすごかった。。。 ![]() 朝いちから ピンポ?ン ![]() 1時間後にまた ピンポ?ン ![]() お昼時にまた ピンポ?ン ![]() ・・・はい、めくるめく来客の嵐です!!(゚ロ゚ノ)ノ そして、家の中でかくれんぼ、ドッチボール、水を撒き散らす、 布団はぐちゃぐちゃ、洗濯物は踏みつけ、お菓子のクズが散乱・・・ とてもとても生後間もない赤ちゃんと、 うつ病の母親がいる家庭とは思えない暴れっぷりです。。。 君達には気遣いというものがないのか ![]() ・・・と言いたくなるかもしれないが、これが不思議なことに さほど腹が立たないんですよね・・・。 だって、あまりにも皆楽しそうで・・・(^ー^) 今までは、合いもしない型に長男をはめ込み、 上手くできないことにばっかり目がいってたけど、 こんなにたくさん、長男を慕ってくれる人がいるのは、 やっぱり長男にそれだけ魅力があるからだよね。 親である私が1番、本来の長男の良さを見失ってしまっていた。 改めて、長男ってすごいんだなぁ・・・。 私は人付き合いも下手だし、たくさんの人に慕われたこともない。 人に好かれるのも立派な才能。 サッカーなんかクソくらえ! やっぱり、長男は自慢の息子だ ![]() ずっと失くしていた育児への自信・・・ 5年生になった長男がそれを取り戻させてくれた。 苦労したけど、引越し、転校させて良かった。。。(*´∀`*) ⇒「うつ病主婦VS料理」へつづく |
我が家の双子は二卵性なので、顔も違えば性格も全然違う。
次男はとにかく寝るのが大好きで、 ミルクと ![]() いっぽう三男は抱っこが大好きで、ほとんど寝ないで、 ひたすらかまってくれ?、かまってくれ?と吠えている。*:゚。゚(゚´Д`゚)゚。゚:*。 体格も、次男は寝てばかりいるわりには、我が家で初の痩せ型。 いっぽう三男は、1日中起きて泣いているわりにはおデブ ![]() うつ伏せにしてもまったくやる気がなく、 グダ?ッっとして下手するとそのまま寝てしまう次男(_ _ )。oO うつ伏せにすると、一生懸命抵抗して、 顔面をぶつけながら泣き続ける三男。*:゚。゚(゚´Д`゚)゚。゚:*。 同じ親から、同じ日に生まれた2人。 それでも、こんなに違う。 私は長男を育てている時、とても苦しかった。 長男のちょっとした行動や発言が気になり、 私の育て方が悪かったんだろうか・・・ やっぱり、私がうつ病だからまともに育たないんだ・・・ 元夫の血が流れてるから、きっとこんな性格なんだ・・・ 考えれば考えるほどマイナス思考に飲み込まれてしまい、 自分を責めてみたり、長男を責めてみたり・・・。 でも、双子を毎日見ているうちにそれは間違いだと気付いた。 だって・・・ 同時に生まれ、 同時に育っててもこんなに違うんだから・・・(^ー^) たとえば、この4人で生まれた順番が違ったとする。 最初が長女だったら、 なんでこの子はこんなに気が強いんだろうって悩んだだろう・・・。 次男だったら、 なんでこの子はこんなにやる気がないんだろうって悩んだだろう・・・。 三男だったら、 なんでこの子はこんなに太っているんだろうって悩んだだろう・・・。 悩んでも仕方ないし、自分を責める必要もなかったんだね。 だって、それは生まれ持った個性だから・・・ 悩むより、受け止める。 私にできるのは、そういうことかもしれない。 この子供たちに私はまたひとつ救われた・・・ ⇒「大事なひと呼吸」へつづく |
うつ病なのに、どうやって1人で3人面倒見ているの?
どうして病気が悪化しないの? ・・・と不思議に思っている人もいるかもしれない。 確かに、私はうつ病だし、過去記事を読んでもらってもわかるように、 決して症状が軽かったわけでもない。 むしろ、最悪にひどい状態が、双子を育てていく中で、 どんどん良い方向に向かい始めたと言っていい。 その理由は簡単。 育児はサボればサボるほど面白いと気付いたから ![]() 例えば、いっぺんに3人同時に泣き出したところで、 体が1つしかないわけだから、 どう頑張ったって1人ずつ順番にこなしていくしかない。 1人目に10分、2人目に10分。 そうすると、3人目は20分も待たされていることになる。 子育て中のお母さんたち、 20分も赤ちゃん泣かせてたことありますか? 私は長男の時も、長女の時も、そんなに泣かせてたことありません ![]() 日がたつにつれ、どんどんどんどん泣き声に過敏になり、 「ほぎゃ・・・」とひと声あげただけで、救急車よりも早く駆けつけ、 腰が砕けようと、腕がちぎれようと、泣き止ませるのが使命かのように、 全精力を注いでおりました。。。 これじゃあ、身も心も持つはずがない・・・ ![]() そんな私が、頑張っても頑張っても完璧にできない。 頑張っても頑張っても泣かせてばかりの双子育児。 こんなんでいいのか? 泣きすぎておかしくなってしまうんじゃないのか?・・・と葛藤の日々。 それでも3ヶ月が過ぎた頃、双子は笑うようになった。 私が顔をのぞかせただけで、「うひゃ?(*´∀`*)」って・・・。 なんともいえない感激。。。 ああ、お前らはなんていい奴なんだ?・゚・(ノД`) ・・・と、可愛さがさらに増す ![]() 長い時間じっくりかまってあげることができない・・・ 気が済むまで遊んであげられない・・・ だからこそ、ようやく向き合えた時に「嬉しい」と思える。 一緒に笑えることを「楽しい」と思える。 「嬉しい」と「楽しい」の積み重ねはうつ病にとって最高の治療 ![]() 子育てを頑張りすぎているお母さんたち。 赤ちゃんが泣き出しても、いつもいつもあわてないで、 コーヒーでも1杯飲みましょう ![]() きっと、今までより可愛さが増すと思いますよ(^ー^) ⇒「双子の楽しみ」へつづく |
長男の友達が来るようになってすっかりにぎやかになった我が家。
しかし、ここで困った問題が・・・。 というのも、この子たち、なぜか朝ご飯を食べて来なかったり、 お昼ご飯の時間になっても帰らない・・・。 どうしたものかと最初はいろいろ悩んだが、 長男と仲良くしてくれてるし、長女や双子の面倒もよく見てくれてるし・・・ ということで、一緒に食べることに・・・ ![]() でも、旦那がいる時はいいが、私は料理がもともと苦手だったうえに、 うつ病になってほとんど作れなくなってしまっていた ![]() 当然すぐに作れるはずもなく、 最初は、パン、カップラーメン、コンビニ弁当など・・・。 でも、何度かこうやって一緒に食事をしているうちに、 だんだんと「もっとおいしいものを食べさせてあげたいなぁ・・・」 という気持ちがわいてきた。 最初は卵焼きにベーコン、おにぎりなど、本当に簡単なものから・・・ でも、それを食べて 「お前の母さんのおにぎり、うめぇ・・・」 と、友達がポツリ・・・ なに? 美味い? 私の作ったものが? うそ? Σ(゚ロ゚ノ)ノ それはそれは新鮮な響きでした。 初めての結婚以来、ご飯は女が作るもの。 雨が降ろうと槍が降ろうとやり続けなければいけない、超苦痛な家事。 ・・・そんなふうに思っていた。 でも、一生懸命作ったものを食べてもらえるのって、結構幸せなことかも・・・。 うつ病になった4年前。 包丁を持ったまま台所に立ちすくんでいた私。 なぜ作れない・・・? わけがわからず、ただ泣いていた。。。 でも今は、気が付けば、もっとおいしいものを、もっとおいしいものを・・・と、 必死に料理と格闘している自分がいた。 心の病はやはり心の病。 心が変われば、病は治る ![]() そう確信した出来事でした(^ー^) ⇒「優しさが人を変える」へつづく |
うつ病になって、本当に笑うことが少なくなった。
お笑い番組を見ても、笑い声がやたらと不愉快で、すぐに消していた。 でも今は、ささいなことでゲラゲラ笑っている子供たちを見ていると、 素直に羨ましいなぁ・・・と思える。 それに、暴れてるわりには、ちゃんと長女の面倒見ていたり、 双子に声をかけていたり・・・。 私は以前、ものすごい子供嫌いだった。 やかましい、暴れる、言うことをきかない・・・。 長男を育て始めてからも、周りは長男をいじめる子供ばかりで、 ますます嫌いになっていった。 長男を遊びに連れて行っても、大きい子が近くを通るだけで、 危ない!何やってんのよ!まったくもう! と敵意剥き出し・・・ ![]() 今、長女や双子の周りを大声だして暴れまわる子供たちを見てて、 なんにも危なくないじゃん・・・ちゃんとよけてくれてるじゃん・・・と気付く。 間違ってぶつかっても、びっくりさせて泣かせても、 抱っこして「ごめんね?」って謝ってくれてる姿を目にする。 この家に引っ越してきて、初めて子供たちの優しさに触れた。 意地悪なのは子供たちじゃなく、私だったんだな・・・。 とても心が狭かった・・・。 以前住んでいた地域は、親同士でやたらとグループを作りたがり、 塾や習い事のオンパレード、見栄の張り合い・・・。 私はどうしても馴染めず、長男も縮こまっていた。 保育園や小学校でも、先生によっては 「お子さん、何か問題があるのでは・・・?」 と言われることもあった。 どんなに頑張っても空回り、不安ばかり・・・ でも、それは決して長男が悪かったわけではなく、 ただ単純に長男に合っていない場所だったんだっていうことを再認識した。 やり直しはいつからでもできる。 何十年も人を疑い、人を嫌い、 固く閉ざした私の心が静かに開き始めた。。。 ⇒「うつ病の親と子供」へつづく |
人として人と出会い 人として人に迷い ![]() 海援隊/「祝.卒業」?金八先生主題歌集より ●歌 詞 * * うつ病主婦の想い * * 裏切られる恐怖から、人を信じなくなった。 1人でいいや・・・もううんざりだ・・・ なんの感情も持たないロボットになりたい・・・と。 でも、そんな私を救ったのは温かい人の心であった。 人を想う気持ちは、人を恨む気持ちの何倍も強いな。。。 |
私はうつ病になって2年ほどで通院をやめているが、
それは決して病院の先生が気に入らなかったわけではない。 むしろ感謝している。 私が通院していた精神科は、「薬に頼りすぎない治療」を目指しているところで、 診察自体は短時間だが、カウンセリングは45分もあった。 どんなに症状が悪化しようが、薬の量が極端に増えることはなく、 頻繁にアムカをしていた頃でさえ、朝昼晩2錠ずつと睡眠薬だけ。 トータル1日7錠 ![]() なかなかアムカがやめられなかったり、自殺願望が強くて仕方なかった時も、 「心が安定してくれば自然にやめられるから大丈夫」 という返事だった。 泣きながら病院に駆け込んだ時や、歩くこともままならない時は、 点滴や注射などをしてもらうこともあったが、 基本的にはカウンセリングで解決法を探しましょうという感じ。 一見、冷たいように感じられるかもしれないが、 この時にもし、「じゃあ、もっと効く薬に変えましょう」とか、 「もっと量を増やしましょう」と言われていたら、 私は間違いなく薬漬けになっていたと思う。 薬を変える、あるいは量を増やすというのは、 治療としては当たり前の選択肢かもしれない。 しかし、「他の薬ならもっと効くのかも」、 「もっと増やせばラクになるかも」という誤解を生んでしまう。 病院に行った時はとても調子が良くても、 家に帰った後に何か嫌なことがあれば、簡単に悪化する。 死にたくてたまらない瞬間も、眠れなくて気が変になりそうな時も、 狂ったように腕を切り続けている瞬間も、診察時間外であれば先生はいない。 当たり前のこと。 つまり、本当に苦しくて苦しくてたまらない時は、 どうあがいても自分で解決していくしかないのだ。 そう、本当に変えなければいけないのは薬や病院ではなく、 自分を取り囲む環境や、うつに陥りやすい自分の思考である。 探さなければいけないのはより良い病院ではなく、 少しでも早くうつ状態から立ち直れる方法である。 薬や休養でどれだけ一時的に回復しても、 同じ思考で同じように行動している以上、 何度でも同じ失敗を繰り返してしまう。 うつ病は頑張っちゃいけない? どんな病気であっても、医者の助けを借りながら、自らも努力をするものだ。 食事に気をつけ、規則正しい生活を心がけ、適度な運動をする。 なぜうつ病だけが特別扱いなんだろう? なぜうつ病だけが先生にすべてを委ねてしまうのだろう? 自分が治りたくないと思っている以上、 先生がどんなに頑張ったって無駄ではないのか? 子供達との関わりを続けていく中で少しずつ思考が変化し、 そしてその度に心が軽くなっていくのを実感した。 気が付けば、うつ独特の波が消えていた。 極端に嫌な出来事さえ起こらなければ、 意味もなく落ち込むということがなくなったのだ。 なぜ私はうつ病になったのか? 今ならわかる。 私は自分で自分を苦しめ続けていたのだ。。。 ⇒「完璧主義から抜け出す」へつづく |
うつ病になりやすい性格のひとつに完璧主義があるが、
実は私は、完璧主義だという自覚がなかった。 逆に自分ではいい加減な性格だと思っていた。 でも、双子を育てていく中で、長男の時と同じようにできない苛立ちと葛藤し、 長男の時に頑張りすぎていたことに気が付いた。 長男はとても頭が良くて成績が良い。 でも、私はそれを当たり前のことだと受け止め、 運動が苦手なほうや、行儀が悪いほうばかり見ていた。 パーフェクトじゃないと許せなかったのだ。。。 長男だけじゃない。 人付き合いすべてにおいて、少しでも嫌な部分が見えると、 急に見下した態度をとったり、距離をおいたりしていた。 完璧な人などいないとわかっているはずなのに、 他人の欠点を許すことができなかったのだ。 なぜだろう・・・? それはきっと自分が認められたことがないから・・・。 母親に否定され続けたから・・・。 本当は、結果に関係なく「よく頑張ったね」「すごいね」 と言われたかったに違いない。 中途半端でも、努力したことを認めて欲しかったに違いない。 でも、何をやっても、結果を出してもなんの反応もない。 それどころか「次は・・・」と言われてしまう。 その積み重ねが私を狂わせた。 中途半端にやったのに、お情けで「頑張ったね」なんて言われたくない。 うつ病でただ寝転がってるだけなのに、 「生きてるだけで頑張ってるんだよ」なんて言われたくない。 こんな惨めな自分、絶対認めたくない! ・・・でもね・・・ 本当に惨めだったのは、振り回すだけの母親に 何十年も人生を捧げてしまったことだ・・・。 私はもう母親の手を借りなくても生きていけるんだ。 母親の機嫌取りをする必要はないんだ・・・。 本当に自分が好きなものを探してみよう・・・。 今まではきっと、無意識に母親の気に入ってくれそうなものを 選んでいたに違いない。 服も髪型も、仕事も、友達も、何もかも・・・。 私は本当はどんな生き方がしたいんだろう? どんな服が好きで、どんな音楽が好きで、どんな遊びが好きなんだろう? 干渉されても昔みたいに言いなりになる必要はない。 好きなように生きることができるんだ。 それって幸せだね(^ー^) 本当の自分って、どんな人なんだろう・・・。 ⇒「未完成の面白さ」へつづく |
| ホーム |
|