2004年にうつ病とパニック障害を発症し、現在4年目の主婦です。
最初の頃は、うつ病やパニック障害の本当のツラさなど知らず、 2?3ヶ月もあれば簡単に治るものだと思っていた。 うつ病サークルのオフ会にも参加したことがあるが、 そこには、ひと目で精神病患者だとわかる人も数名いた。 突然叫びだして帰っていく人も・・・。 話すことといえば、病院の話、薬の話・・・ ![]() ![]() まるで薬の多さや具合の悪さを自慢しあっているようにさえ見えるその風景 ![]() 仕事の愚痴も多かった。 「毎日怒られてばかりいる・・・」 「また仕事を辞めた」など・・・。 仕事なんて、最初から上手くできるわけないじゃん。 甘えてんじゃないの? ![]() あんなふうにはなりたくないな・・・ ![]() それがその当時の正直な感想・・・。 あれから4年。 今の私は・・・というと・・・ 一生懸命「「正常な人のフリ」をしている( ̄∀ ̄;) 一生懸命頑張らないと、すぐに精神的に問題があることがバレてしまう・・・ ということ・・・。 仕事もかなり苦労した ![]() 当たり前のことが当たり前にできない・・・。 仕事、家事、育児・・・。 うつ病の本当のツラさを思い知った。。。 うつ病に立ち向かい、うつ病に打ちのめされ、 それでもあきらめきれず完治を目指し続けた女の記録。 出口はきっとどこかにあるЩ(`Д´Щ) ![]() ![]() ![]() どうぞお楽しみください ![]() ⇒まずは「うつ病主婦とブログ」 からどうぞ |
頭に膜が張ったような状態が数ヶ月続き、
眠ることさえできなくなってしまって1ヶ月以上。 ある朝目が覚めると体が動かなくなっていた私。 その後どうしたのか、もう今では思い出すことができないが、 友達に連れられて精神科に行った記憶はうっすらある。 診察室に入るなり、悲鳴をあげて逃げ出した。。。 そして待合室で泣いた。 人目もはばからず大声で泣き続けた。 状態が落ち着くのを待って、もう一度診察室に呼ばれたが、 体がガタガタ震えるばかりで、言葉が何も出ない・・・。 涙が止まらない・・・。 友達が代わりに先生に話をしたと思うのだが、覚えておらず、 その後の記憶もない。 1週間後、再度病院に行くが、やはり言葉が出ない。 前回のこともあって、今回は症状をメモに書いて持っていった。 手の震えがひどいため、ミミズのような文字。 メモ用紙がまっ黒になるぐらいたくさんの症状を書いた気がする。 「うつ病」「パニック障害」 その診断名にさえ何の現実感もない。 起き上がれない私のために友達が毎日食事を作りに来てくれた。 でも、そんな友達にさえ、私は物を投げつけわめき散らした。 光、音、人・・・ それまで当たり前に私を取り囲んでいたもの。 そのすべてが恐怖に変わった・・・。 話すこともなく、笑うこともなく、ただ布団に横たわる。 死人・・・。 ⇒「うつ病主婦の決断」へつづく |
うつ病とパニック障害の発症当時は、とにかく外に出ることが怖かった。
人の視線、音、話し声・・・何もかもが恐怖。。。 買い物しようとようやくスーパーまで辿り着いても、 自動ドアが開いたとたん体中に鳥肌が立ち逃げ出す。 なんとかスーパーに入れても、レジで待つことがツラくてたまらない。 震えが止まらない・・・落ち着かない・・・怖い・・・ 結局耐えられずに逃げ帰ることもしょっちゅうであった。 人前だろうとなんだろうと涙がポロポロ溢れて止まらない。。。 それでも、1ヶ月以上ほとんど寝ている生活をしているうちに、 その症状はだいぶ改善されてきた。 元夫のこと以外は・・・。 ある程度精神状態が落ち着き、なんとか言葉も発せられるようになっても、 元夫が帰ってくる時間になると相変わらずソワソワし、恐怖に震えた。 何度も何度も家の中を往復し、体がガタガタ震える。 言葉も出なくなり、話しかけられても幼児のようなしゃべり方しかできない。 「病気のフリはやめろ!」 何度となく元夫にそうやって責められた。 私はこの人と一緒にいる限り治らない。。。 元夫に別居を申し出た。 そして、生活のために2ヶ月で復職。 うつ病の時は大きな決断をしちゃいけないというが、 おそらく私はこの人とはもう一緒にいられないだろうと感じていた。 そして別居から半年後に離婚した。 あきらめたのではなく、前を向くために・・・。 ⇒「うつ病と仕事 ?」へつづく |
うつ病のまま仕事をしていて何が大変だったかというと、
新しいことが覚えられないということ ![]() うつ病になる前から3年間働いた職場。 やり慣れているはずの仕事。 それなのにちょっとした変更、期間限定のイベントなど、 新しく覚えなければいけないことが覚えられない。 それどころか、今まで30分でできた仕事が1時間もかかってしまう ![]() 当然仕事はどんどんたまっていき、早くしなければと思うのだが、 何から手をつけていいのかわからず、気がつけば時計ばかり見ていたりする。 体がダルイ・・・眠い・・・(-_-|||) どんなに頑張ろうと気合いを入れても、体も頭もついてこない・・・ ![]() また更に苦痛だったのが休憩時間。 今までは先頭きってしゃべってたくらいおしゃべりが大好きだったのに、 周りの話し声、笑い声が騒音にしか聞こえない・・・ ![]() 接客もツラくなってしまった。。。 人と話をすると、なぜかとても疲れてしまうのだ。 職場の人にうつ病になったことを公表していたこともあり、 「この人をどう扱っていいのかわからない」というような視線もツラかった。 少し前までは、お互いからかいあったりして楽しかったのになぁ・・・。 同情されるのってツライ・・・(ノ_・。) そこで離婚を機に転職を決意。 でも、これってうつ病の人がやっちゃいけないことの基本ですよね(笑) ⇒「うつ病と仕事 ?」へつづく |
新しい職場ではうつ病であることは内緒にしていた。
話したところで理解してもらえないだろうし、 また同情したような目で見られるのも嫌だったから・・・。 でも、結果は、 自分は本当にうつ病なんだということを自覚させられただけだった ![]() 教えてもらったことがなかなか覚えられない。 それどころか、一生懸命集中して話を聞いてるつもりなのに、 相手の言っている意味がわからない・・・(ノ_・。) 1週間・・・2週間・・・3週間・・・ どれだけたっても進歩している気配がない。 常に「あれはどうやってやるんだったっけ?」 「これってどうすればいいんだっけ?」 わからないことが多すぎて、何度聞いても不安がなくなっていかない ![]() 仕事が大好きだった過去の自分。 バイトを変わる時にはわざわざやったことのない職種を選んで、 新しい知識や技術を身につけるようにしていた ![]() 成長していく自分が好きだった。 でも、その職場は今までと違った。 どんどん出社するのが嫌になり、毎朝休む理由を考えていた。 そのうち「明日なんか来なければいいのに・・・」と思うようになり、 生きていることがツラくなってしまった。。。(´_`|||) 結果・・・腕を切りつけるようになった・・・。 薬を大量に飲んでは暴れるようになった・・・。 死にたい気持ちとの闘いが始まった・・・。 息子は当時まだ小学1年生。 自分がしっかり支えていかなきゃ・・・。 再度転職を決意。 ⇒「うつ病と仕事 ?」へつづく |
新しく転職した先は、ただ事務所にいればいいというだけの超簡単な事務職。
やることがないので当然退屈で、 普通ならば本を読んだりして時間をつぶすのだろうが、 当時の私は文章を読むことが困難で、何も頭に入らなかった。 マンガを読んでもクスリとも笑えないどころか面白くない ![]() パソコンは自由に使ってよかったので、ネットサーフィンなどしてみるが、 やっぱり楽しくない・・・ ![]() 何をするわけでもなくただボケ?ッと窓の外を眺め、 自分にはもうこんな仕事しかできないのか・・・と時々悲しくなった。 でもどんなに嘆いたところで、 ひとつ用事を頼まれただけで頭の容量がいっぱいになってしまう自分がいる。 新しいことを覚える時には頭の先から足の先まで、 とにかくすべてのものをフル稼働しなければならない自分がいる。 これが今の自分の精一杯。 幼児並みに低下した自分の能力。 それは認めざる得ない(-_-。) 悔しかった・・・とても悔しかった・・・。 今の旦那と再婚した後、旦那は 「ツラかったら仕事辞めてもいいんだよ」と言ってくれた。 「しっかり休んで具合が良くなったらまた働けばいいよ」って。 でも辞めなかった。 どんなにくだらない、ほとんどなんの役に立ってないような仕事でも、 唯一「頑張っている」と胸を張って言えることだった。 家事も育児もすでに満足にできなくなっていた私。 これで仕事も辞めてしまったら、自分は本当に「何もできない人」になってしまう。 それだけは絶対に嫌だ・・・(>_<。) 少しずつ少しずつ、亀のような歩み。 それでもその中で、少しずつ本を読めるようになり、 エクセルやワードなども勉強した。 やっぱり進歩していくことは楽しい ![]() 再婚してから数ヵ月後、妊娠しているのが発覚した。 どうしようか迷ったが、今までのように薬に頼ることができないため、 周りに迷惑をかける前に仕事を辞めた。 今度は自分が無能だからではなく、 産まれてくる赤ん坊を守るためという言い訳ができた。 家でじっとしているためには、自分なりに納得のいく理由が必要だったんです。 仕事が好きな自分はたぶんずっと変わらない。 いつか昔みたいにバリバリ働ける日がくるといいなぁ・・・。 ⇒「うつ病とテレビ ?」へつづく |
私はうつ病になってからテレビを見なくなったが、
正確にはいつから見なくなったのか覚えていない。 ある日、ふと以前録画した映画を見ていないことに気付いて見てみたのだが、 これがまったく意味がわからない・・・(?_?) なんじゃこの映画。全然面白くないじゃん・・・。 なんでこんなのが人気あるんだろ・・・? 仕方がないから録画した他のドラマの続きを見てみる。 ・・・・・・ 意味がわからない・・・ ![]() ![]() 初めて何かがおかしいことに気がついて、番組表を見てみると、 自分が見ていたドラマはとっくに終了していて、新しいドラマが始まっていた。 逆算していくと、どうやら3ヶ月以上テレビを見ていないようだ。 どういうことだ・・・ ![]() ![]() まるで浦島太郎状態・・・。 しかしそこから意識してテレビをつけるようにしてみると、 音がものすごく不快だということに気がついた。 特にCMの大音量、バラエティー番組の笑い声・・・ ![]() 何分かつけていると気分が悪くなった ![]() それ以来我が家ではテレビをつけなくなり、 長男がアニメを見るときは、ものすごく小さい音で、 テレビのまん前で見てもらうようになった。 そんな生活は1年以上続いていたのだが、 長女を妊娠中、「なんとかこれを克服できないかな?」と考え出した。 ⇒「うつ病とテレビ ?」へつづく |
テレビを見たいとは思ったものの、
不快なものに手を出すというのはなかなか難しい ![]() とりあえず番組表をチェックして、見れそうなものを見てみる。 つまらなくてもイラッとしても、できるだけ我慢我慢・・・ ![]() それでも、たとえばドラマの手術シーンや人が殴りあう姿などは、 刺激が強すぎて見た瞬間パニックを起こしてしまう。 ニュース番組でも、暴動で血を流す人や虐待された動物など・・・。 こぶしを握り締めて、体をガタガタ震わせながら見ていた。 限界を感じた時は速攻で消す ![]() うつ病になるまでは当たり前に見てたけど、 テレビって結構過激な映像流れてるんだなぁ・・・ 小さい頃からずっとこんなもの見てたら、やっぱり感覚が麻痺しちゃうよなぁ・・・ なんてつくづく思ったりして・・・ ![]() そんなこんなで少しずつ見られる時間も番組も増えていき、 今ではもう当たり前にいつでもテレビがついています。 長男と一緒にお笑い番組を見て笑ったり、 長女と一緒に幼児番組を見て歌ったり、 テレビが復活してから我が家は明るくなりました ![]() パニックを起こしそうになるたびに、 「あ?、なんでこんなくだらないことを必死になって頑張ってるんだろ?」と、 自分で自分がおかしくなってしまう時もありましたが・・・まぁ結果オーライです ![]() でも娯楽の道具のテレビを見るのに、こんなに頑張らなきゃいけないうつ病って・・・ やっぱり難しい病気だね・・・ ![]() ※ちょっとカテゴリー違いになりますが、 続きはこちらを先に読んでいただいたほうがわかりやすいかと思います。 ⇒「うつ病なのに双子妊娠??」 読み終わった方はうつ病奮闘記の続きをどうぞ⇒「うつ病で引越し(1)」 |
2006年7月。車で信号待ちをしている時、いきなり後ろから追突された。
そして、そのはずみで前の車に追突。 見事にサンドイッチ状態になってしまった私・・・ ![]() その2年前にもコンビニで買い物中に車が突っ込んできて接触しているので、 フラッシュバックからなのか、事故の衝撃なのかその場に倒れこむ・・・。 救急車で運ばれ、病院でレントゲンやらなんやら検査を受けたのだが、 その時やたらと何度も聞かれた質問・・・。 「妊娠してる可能性はありませんか?」 あるわけねぇじゃん・・・。 私は無排卵の女。 自分が妊娠できないということは嫌というほど思い知ってる。 だから当然のように「ありません」と答えたのだが、 家に帰ってからもやたらとその言葉が頭に残って落ち着かない。 今まで何度も検査しては絶望的な気分を味わった妊娠検査薬。 まぁ・・・レントゲンとか撮ってるし・・・安全確認?のためだと試してみると、 うげ??っ、陽性!!!Σ( ̄□ ̄;) なんでだ? どういうことだ? 有り得ねぇ・・・。 いや、ちょっと待て・・・薬・・・ 抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬・・・それに事故後にもらった鎮痛剤。 レントゲン・・・。 やべぇ?よ、マズイよーーー!!! 慌てて産婦人科に駆け込む ![]() ![]() 産婦人科の診察でも見事に妊娠が確認され、 おばあさん先生が私の薬のことを全部調べてくれた。 結論は「産みたいなら薬をやめなさい。」 「今はまだ妊娠初期だから、レントゲンも今まで飲んでた薬も心配しなくていい。 でも、今日からもう飲まないでくださいね。」 「はい・・・。」 「大丈夫、頑張って(^ー^)」 先生の言葉がとても温かかった。。。 ⇒「うつ病で妊娠 ?」へつづく |
長女を妊娠したとわかった時、嬉しいと思う反面、やはり悩みも大きかった。
抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬、鎮痛剤・・・ 薬の影響は大丈夫なんだろうか? 産婦人科では「心配しなくていい」と言われたが、 やっぱり100%の保障なんてない。 万が一、障害があったり奇形があったりした時、 私は受け入れることができるだろうか・・・? いや、そもそもうつ病やパニック障害の私が育児なんかできるのだろうか? 出産に耐えられるのだろうか? ネットで検索しても何も見つけることができず、それがかえって不安を煽った ![]() 妊娠、出産、育児は長男で経験している。 でもあの時自分は健康だった。 健康だったにも関わらず、やっぱり大変だった。*:゚。゚(゚´Д`゚)゚。゚:*。 泣き続ける赤ん坊の声。 朝から晩まで授乳、おむつ、着替え・・・。 ケガもすれば病気もする。 自分の身の回りのことさえできなくなっている自分が、 いったいどうやって赤ん坊の世話を ![]() ![]() ![]() テレビを見ることさえできない自分がどうして赤ん坊の泣き声に耐えられる ![]() ![]() ![]() 考えれば考えるほど不安が増した。 産まないほうがいいのかもしれない・・・。 今回はあきらめて、妊娠は病気が治ってからでも・・・。 そんなふうにも考えた。 幸せにする自信がないのなら産むべきじゃない。 ・・・でも、長男が生まれてから9年。 もう自分は妊娠できないと思っていた。 今の旦那にとっては初めての子供。 ずっと1人っ子だった長男にとっても初めての兄弟。 できることなら産みたい ![]() ・・・だけど・・・ 産むのか産まないのか・・・ その結論は最後まで出せなかった。 ⇒「うつ病で妊娠 ?」へつづく |
妊娠したことを精神科の先生に告げると、
それまで飲んでいた薬を軽いものに変更してくれた ![]() 「飲まずに我慢できるなら飲まなくてもいいよ」ということで。 いくら軽くて胎児に影響がないとはいっても、薬は薬。 飲んだら飲んだぶんだけ「大丈夫かなぁ?」という不安が増した。 調子が悪くなってしまえば、相変わらず我を忘れて大量に飲んでしまう・・・ ![]() 飲んでも飲まなくても鬱の波はやってくる。 それだったらおもいきってキッパリ薬をやめよう! ということで、突然の断薬 ![]() 薬をもらう必要がなくなったので、自然と通院の回数も減った。 カウンセリングだけ受けたところで今すぐ完治する見込みもない。 ・・・ということで、勝手に通院中止 ![]() その後に待っていたのは、 荒れ狂う離脱症状の嵐 ![]() もう何が苦しいなんてもんじゃない・・・ ![]() 暴れまわり、のたうちまわり、暴言を吐く・・・ 普通に妊娠するだけでも情緒不安定になるんだから仕方ない・・・。 後期になって中絶が不可能になってきた頃には死ぬことばかり考えていた。 育てられないのに産むわけにはいかない。 中絶できないなら死ぬしかない・・・みたいな ![]() だけど薬を飲むよりはマシだと思っていた。 同じように障害や奇形を持って生まれたとしても、 薬を飲み続けたせいで・・・と後悔したくはなかった。 頑張るだけ頑張って、それでも障害や奇形を持って生まれたのなら、 それを運命だと受け止めよう。。。 朝から晩まで家にいて、特に何をするわけでもないのに、 顔を洗えない、風呂にも入れない。外にも出られない。 体は悪臭を放ち、部屋は散らかり放題。 旦那や長男にもかなり当り散らしていた。 それでも娘はお腹の中でスクスクと育っていた。 しょっちゅう大声出してゴメンね・・・。 しょっちゅう暴れてゴメンね・・・。 居心地悪い・・・よね・・・ ![]() ⇒「うつ病で妊娠 ?」へつづく |
長女の妊娠中に私を苦しめたもののひとつに「異常な食欲」がある。
普通の妊娠でも食欲は増すものだが、私の場合は本当に異常だった。 朝から晩まで食べることで頭がいっぱい。 どれだけ食べても満足できず、我を忘れて食べ続け、 最後には吐いてしまう・・・(´Д`|||) でも吐くとお腹がすくからまた食べる。 吐いては食べ、吐いては食べ・・・。 気がついたら食べながら吐くことを考えていたり、 吐きながら食べることを考えていたり・・・。 楽しくおいしく食べているというよりは、 「食べたい」という衝動が抑えられない・・・。 そして、食欲と同時に私を苦しめていたのが全身のかゆみ。 とにかく体中がかゆくてたまらない。 妊娠後期ともなればお腹が張ったり、股関節の痛み、動悸、息切れ。 毎日毎日ツライことばかり・・・。 そういえば、長男の時も妊娠中ツラくてツラくてたまんなかったっけ・・・。 こんなんで大丈夫だろうか・・・? 本当に出産まで耐えられるだろうか・・・? 妊娠がわかった時の喜びは薄れ、 どんどん苦しさと不安に飲み込まれていった。 ⇒「うつ病で妊娠 ?」へつづく |
急に断薬をしたことと、妊娠特有の情緒不安定もあり、
妊娠中はとにかくひどいうつ状態が長く続いた。 体が異常に重い・・・ありとあらゆるところが痛む。 震え、しびれ、めまい、不眠・・・ 落ち着かない、イライラする、不安、寂しい・・・ 今まで薬で抑えていた症状が一気に噴出したようだった。 旦那や長男とのケンカも絶えず、 「どうしてこの苦しみをわかってくれないの!」とヒステリーを起こし、 そこらじゅうのものを投げ散らかしたり、火をつけたり、アムカをしたり・・・ コードで首を絞めたり、ベランダから飛び降りようとしたり・・・ ありとあらゆることをした。 自分には生きて幸せになる道か、死んでこの苦痛から逃れるか、 その2つの道しかなかった。 なんで自分をそこまで傷つけなければいけないのか・・・ なんで周りの人を傷つけなくてはいけないのか・・・ そこまでして本当に産む必要があるのか・・・? 何も答えが出ない・・・。 私にとって幸せってなんだろう・・・? 私はいったい何を求めているのだろう・・・? ⇒「うつ病で出産」へつづく |
うつ病の自分が子供を産んでいいのか、
その答えは何も出ていなかった。 陣痛が来たその日も、まだ旦那ともめていた ![]() だんだんと痛みが増していく。 最初は「あぁ、やっとこれで苦しい妊婦生活から逃れられる」 と少しホッとする部分もあったが、 痛みが強くなるにつれ、それはとてつもない後悔へと変わっていった。 痛い ![]() ![]() ![]() この場から逃げ出したい ![]() やっぱり出産の道なんか選ぶんじゃなかった。。゚(゚>Д<゚)゚。。 それでもこの世に生まれ出ようとする命は、容赦なかった。 苦しいよ・・・誰か助けて・・・ 私病気なんだから・・・ それでもこの世に生まれ出ようとする命は許してくれない。 うつ病になってから、私はどれだけのものから逃げてきただろうか・・・。 この「出産」という大仕事の前にはどんな言い訳も通用しない。 どこにも逃げ道などない。 乗り越えるしかない試練・・・。 そういえば、長男の時には安産のために毎日散歩したり、 掃除をしたり、ストレッチをしたり、いろんな努力してたっけ・・・ ![]() 今回は寝込んでばかりで、運動なんて何もしていない。 そんなんで出産に必要な体力なんてつくはずもない。。。 ![]() うつ病なんだから仕方ないんだよ・・・。 寝てるだけでも、生きてるだけでも「頑張ってる」ことになるんだから・・・。 当たり前のように自分にしてきた言い訳。 私は今まで、甘えていたんじゃないだろうか・・・ ラクな道ばかりを選んできたんじゃないだろうか・・・ 私は本当に頑張ってたって言えるのだろうか・・・ 遠くなる意識の中でそんなことを考えていた。。。 そして・・・長女・・・誕生 ![]() ![]() ![]() 初めてのご対面の感想は・・・ うげっ ![]() ![]() ![]() ・・・てか、旦那を産んでしまったような・・・複雑な気分 ![]() しばらくするとピンクの肌着を着せられていた。 なんじゃありゃあ? ![]() ![]() 似合ってねぇ?よ?。.*+:。(ノ∀`)。.。:+。 疲れ果てた体で、私は笑った。。。 ⇒「うつ病と産後の生活」へつづく |
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