立ち向かう決意
うつの波はいったん治まったものの、思った以上に現状は深刻だった。

延々と続く体の倦怠感、痛み、めまい。
睡眠もなかなか安定しないうえに悪夢も続く。

マイナス思考や無気力感がなくなっても、
やってくるのは元気な自分ではなく、分裂した自分。

本来の自分でいられる時間がまったくゼロになってしまった。

いったいどうしたらいいものか・・・。


うつ病を治していく過程で「自分を大事にする」という言葉をよく聞く。
もう充分頑張ったんだから、たくさん自分を甘やかせばいい、
他人に気を使わず、自分のやりたいように・・・と。
私もそれに納得し、できる限り自分を大事にするように心がけてきた。

だけど、いつからか私はこの言葉に違和感を覚え始めていた。

今の自分は疲れ果てている。
できることならリゾート地にでも行ってのんびりしたい。

掃除も、食事の用意も、子育ても、
何の心配もしなくていい所でひたすら休みたい。

でもその思いとは反対に、それをやったとしても治る気がしない。

なぜなら、そのリゾート地で私が思うことは子供たちのことだから・・・。

海を見れば、子供たちの喜ぶ顔が浮かぶだろうし、
おいしいものを食べれば、子供たちに食べさせたいと思うだろうし、
おみやげだって、子供たちのために選ぶだろう・・・。

子供のいない自分なんて、ただの抜け殻だ。
逆に言えば、子供たちがいるからこそ私は生きていられる。

所詮私は、自分のためだけには生きられないのだ・・・。

だから私は、自分のためにどれだけ時間を費やしても意味がない。
オシャレをすること、趣味に没頭すること、様々な娯楽を楽しむこと。
どれをとっても、子供の笑顔にかなうものなど何もない。

だったら、そんな私がどれだけ自分を甘やかしたってしょうがない。
やりたいことのために自分を犠牲にする。
子供のためなら平気で命も削る。
結局自分はそんな生き方しかできない。

だったらそれでいいんじゃないだろうか・・・。
いや・・・そもそもそれが一番自分らしい生き方なのかもしれない。
それが本来の私の望んでいることなのかもしれない。

だったら答えはひとつ。

もう逃げるのはやめよう。

目の前の壁を乗り越えるんだ!
【2010/06/07】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
頭の回転の悪さと闘う
うつ病になってからずっと私を苦しめ続けているものが、頭の回転の悪さ。
スケジュール管理もできなければ、人の顔も覚えられない、
時間の流れもわからないし、様々なことを理解する力もない。

ただ家に閉じこもっていればよかった頃はそれでも問題なかったが、
子供たちの保育園を継続するためには、かなりの支障が出る。

毎朝忘れ物がないようにバックに荷物を詰める。
体温を測り、連絡帳に家庭での様子を記入する。

保育園に着いたら、荷物をそれぞれ所定の位置に仕舞い、
着替えや、オムツの枚数を確認し補充する。

ぎょう虫検査、検尿、夏服の注文、集金、遠足の用意、お昼寝の用意・・・。

ボケッとしている時間なんかないくらいに、
やらなければいけないことが次から次へと出てくる。

どうにもならないくらい容量が小さくなってしまっている頭に、
これらを全部詰め込むにはかなり無理がある。

ひとつ覚えればひとつ忘れる。
何かに必死になると全部が吹っ飛ぶ。

頭の中にいろんなものを無理矢理ぎゅうぎゅう詰めにしているので、
意識もなんだか朦朧とし、自分が何をやっているのかすらわからなくなる。

旦那に助けを求めようにも、旦那のほうも勤務体制が変わり、
今までのように昼間あまり家にいることができなくなった。

自分1人で、保育園のこと、中学校のこと、買い物、家事、
すべてをこなさなくてはならない。

起き上がってはぶっ倒れ、起き上がってはぶっ倒れ。
頭は完全にオーバーヒートしてしまっている。

突然ひどい寒気に襲われたり、かと思えば顔から火を噴くくらい暑くなる。
意味もなく涙が溢れ、どうしようもない孤独感がやってくる。

周りの人は巨人に見えたり、小人に見えたり、
目に映る景色は何もかもが歪みまくっている。

やっぱ壊れてんなぁ・・・私・・・。
こんなこと続けてたら死んでしまうんじゃないかと思えてくる。

でも、いい。これでいいんだ・・・。

どうせ皆いつかは死ぬ。
今日は元気でも、明日家を出たとたんに車に轢かれて死ぬかもしれない。
誰かに刺されて即死するかもしれない。
大地震で下敷きになって死ぬかもしれない。

永遠の命なんてどこにもない。
「明日」を保障するものなんて何もないんだ。

うつに飲み込まれて何ヶ月も寝たきりのまんま死ぬぐらいなら、
今この瞬間死に物狂いで生きてやる。

精神的な病なんてクソくらえじゃ!
【2010/06/09】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
おもいっきり方向転換
保育園の用意を確実にこなすことと共に私がもうひとつ努力したことがある。

それは、自分の感情を無視するということ

今の自分というのは、本来の自分からかなりかけ離れた位置にいる。
ひどいマイナス思考になっていたり、別人のようになっていたり・・・。

結局、どの時間のどの自分も・・・自分じゃない。
(かなりややこしくてわかりにくいと思いますが・・・

だったら、そんなもんに耳を傾けても意味がないんじゃないかな・・・と。

例えば、「保育園の先生が意地悪く感じる」
これは単なるマイナス思考や被害妄想。
先生のせいではなくて、自分の病気の症状に過ぎない。

「旦那を不愉快に感じる、腹が立つ」
疲れがたまっているから休みたいという合図。
旦那を責めるのではなく、自分で積極的に休憩を取る。

「あれもやらなきゃこれもやらなきゃと焦る」
焦っても失敗するだけ。しっかり寝る。

体が痛い、吐き気がする、ダルイ・・・。
もうそんなもんもね、人格変わっちゃうとわかんない。

だったらもう無視、どうでもいい( ̄へ ̄)

これまでの自分は、病気を治すことを優先していた部分もあるが、
これから先は、目の前にあることを確実にこなすことを優先する。

どんなに苦しいと訴えたって誰にも理解できない。
どんなに助けを求めたって誰も助けに来てくれない。

だったら、そんなもんはもうヤメ。
苦しみも悲しみも痛みも、全部自分の中に押し込んじまえ!

上にも下にも前にも後ろにも・・・
どこを見たって「自分」なんてものはもう存在しない。

取り戻したくてもがいた時期もあったが、もうあきらめた。
中身のない空っぽな自分。
だったら、そのまんまの自分で生きていくしかない。

今は、腐った脳みその入ったこのポンコツの体をいかに操作するか、
ただそれだけ。

そして、自分で作り上げていくしかない。
新しい自分を・・・。
【2010/06/11】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
心の置き場所
ちょっとした考え方の違いなのだが、
保育園に行って当たり前だと思っていると、
風邪などで急にお休みしなきゃいけなくなった時に、
「ああ、今日はゆっくりできないな・・・」と気持ちがマイナスに傾いてしまう。

だけど逆に、「保育園は行けない日のほうが多いのだ」と考えていれば、
急に休みになってもどうってことないし、
むしろ、行けた日はラッキー♪という気分になる。

私には休める日なんかない!

ゆっくり病気を治している時間なんかない。
休んでいられるような有難い環境なんて私にはないんだ。

一見絶望的に感じられるかもしれないが、
基本的な思考をその位置に持っていったほうが実はラクだった。

だって現実には多少なりとも休む時間があるんだから・・・^^

自分の感情がどうのこうのじゃなく、
どんなふうに考えれば自分がラクになるか・・・。

保育園ですれ違う、数多くのお母さんたち、先生たち。
私にとってはすべてが恐怖の対象でしかないが、
これも全員がいい人だと自分に言い聞かせる。

悪い人は誰もいない。
悪口だと感じてしまうような会話も、視線も、
すべては病気の症状のせいで、その人たちのせいじゃない。

じゃあ私にできることは何か・・・?

それは、その人たちを不愉快にしない会話術を身につけること

こんなふうに質問された時はどんな返事をすればいいのか、
こんなことを言われた時にはどんな表情をすればいいのか、
今日はこんな話をしてみよう、今日はこんな質問をしてみよう・・・。

毎日毎日シュミレーションし、保育園の送り迎えの時に実践する。
こういう返事をしたら、先生が変な顔をした、
こういう言葉を言ったら、先生がたくさん返事を返してくれた、
じゃあ今度はこうしてみよう・・・。

そんなふうに家に帰ってから頭の中で今日の会話を整理する。

他のお母さんと先生とのやりとりもよく見るようにしていた。
そっかぁ・・・あんなふうに答えればいいんだな・・・。
ああいうふうに話すとすごく印象がいいなぁ・・・。

怒りがこみあげた時や悲しくなってしまった時も、
その感情や言い分に流されず、
できるだけ冷静にひとつひとつ自分の思考や行動を振り返り、修正していく。

正直くだらないことですよ。
私だって長年生きてきて、こんなことやったことありません(笑)

でも、思ったんです。
誰かに好かれるためとか、誰かに評価されるためとかじゃなく、
普通に生きるってどういうことだろうか・・・って。

病気うんぬんじゃなく、
私は最初から、誰かと共存していく方法を知らないのです。

だから過去の自分を捨てて、本当にいちからすべてをやり直しているんです^^
【2010/06/12】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
新しい風
長女と双子が保育園に入園してから1ヶ月以上が経った。
毎日が必死、相変わらずの綱渡り状態。

でもそんな中、長女の担任から嬉しい報告が・・・。

「まおちゃんっていう子と気が合ったみたいで、
今日は朝からずっと一緒に遊んでいましたよ♪(^^)」

そう、長女に初めてお友達ができたんです

仲良くなったので、当然もっともっと一緒に遊びたくて、
夕方お迎えに行った後も、園庭にまおちゃんの姿を見つけると猛ダッシュ

正直、広い園庭で長女と双子の3人を1人で見ているのはとても大変で、
今まで「お迎えがお母さんだけの時は遊ばずに帰るんだよ」と言っていたのだが、
あまりにも嬉しそうにまおちゃんにくっついている姿を見ていると、
なかなかきつく言うこともできない

まぁ・・・仕方ないかぁ・・・(-ω-;)

覚悟を決めて、双子がバラバラにならないようにできるだけ近くで遊ばせたり、
片方を抱っこしたまま歩きまわったり・・・。

毎日毎日汗だくになり、200%の集中力を使い、
とにかく事故や怪我がないようにとエネルギーを使い果たす日々。

そんなある日、
「長女ちゃんのお母さんですか?」と声をかけられた。
なんと、長女と仲良しのまおちゃんのお母さんだった。

ぐおお???っっ!!Σ(゚Д゚ノ)ノ

やべぇ、まずいっ!
先生とのやりとりで精一杯で、
お母さんに話しかけられたバージョンのマニュアルはまだ作成してない

何って話せばいいんだ
どんな顔すりゃいいんだ

完全にパニクってる頭の中を必死で整理し、
とりあえず「あ・・・はい(゚ω゚;)」とだけようやく返事。

「最近、うちの娘と仲良くしてもらってるみたいで・・・^^」
「あ・・・、こちらこそ・・・あ・・・ありがとうございます(汗)」

そこにさらにもう1人参戦。

「ああ?、この娘が長女ちゃんなの?
うちの娘がよく家で、長女ちゃんの名前言ってるよ?^^」

ぐおお???っっ!!ΣΣ(゚Д゚ノ)ノ

なんで? なんで?

「あの・・・何かご迷惑かけてるんでしょうか・・・?
先生からも、言うことを聞かないとかってしょっちゅう言われてて・・・

・・・と、恐る恐る聞いてみると、

「いや?、全然そんなことないですよ?(^∀^)
皆で楽しく遊んでるみたいですよ?

ああ・・・良かった・・・(´ω`;)

安心したら、ちょっぴり会話もスムーズになり、
短時間だったが、挨拶がてら皆でおしゃべり・・・。

昔の私にはなかった、新しい時間が流れ始めた・・・。
【2010/06/16】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
空を見上げて・・・
以前、「うつ病と近所付き合い」という記事にも書いたが、
今の家に引っ越したばかりの頃は、ご近所の目を恐れビクビクしていた私

でも、庭先で長女がくずっていると、
「私が公園に連れて行ってあげようか?」と声をかけてもらったり、
散歩させていると、「お菓子食べる?」と声をかけてもらったり・・・。

以前、双子が知らない間に家を抜け出していたことがあって、
その時にも、ご近所の人が見つけて連れてきてくれた。

1人は道路側、1人は線路のほうへ歩いていたらしく、
その人が気づいてくれなかったら、2人とも事故死していたかもしれない。

左隣のおばさんはよく言う。

 「困ったことがあったら、いつでも頼ってよ

相変わらず上手に頼れない私だが、
常に子供を支配しようとする自分の母親とは違うものを、その人たちに感じた。


少し前の話だが、車に乗っていると、
歩道でいきなりおばあさんがバタッと倒れるのが見えた。

慌てて近くに車を停めて駆けつけると、
おばあさんはうつぶせになったまま動けなくなっていた。

もう1人、その場に駆けつけた若い女性と一緒になんとか起こそうとするものの、
なかなか思うように起こしてあげることができない・・・。

その後、さらに1人2人と助けてくれる人が増え、
皆でおばあさんを起こし、近くの日陰へと移動させた。
1人は、近くの交番に行って事情を説明。

おまわりさんの到着を待っている間考えていた。

やっぱり自分に価値なんてものはないな・・・。
どれだけ勉強ができた、どれだけ運動ができた、どれだけ仕事ができた・・・、
そんなもの、今のこの状況で何の役にも立ってない。

私は、倒れている人を起こすことすらできない。

過去の栄光にしがみつくことがどれだけ無意味かよくわかった。

そして、そんな役立たずな自分でも役に立てたのは、
他ならないたくさんの人たちの協力のおかげだった。

つながり・・・。

それはきっと、どんな薬よりも人の心を癒せるものなのだろう。

私は今、たくさんの人に囲まれて暮らしている。
誰も私に「立派」だとか「一人前」なんてものは望んでいない。

見かけたから声をかける、ただそれだけ。

誰かと一緒に暮らしていくって、ただそれだけのことなんだ・・・。
【2010/06/17】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
使えねぇ記憶力
入園して最初の頃は連続して風邪をひいていた長女や双子も、
だんだんと体調が安定し、休みなく登園できるようになってきた。

保育園にいることが多くなればなるほど長女はどんどん友達が増え、
私の記憶力も限界に・・・( ̄∀ ̄;)

最初に仲良くなったまおちゃんの名前を覚えるのもすごい苦労して、
どうやったら忘れずにすむかなぁと一生懸命考えて、
そうだ!浅田真央って覚えておけばいいのか!とひらめいた

忘れるたびに浅田真央・・・浅田真央と呪文のように繰り返し、
1週間ぐらいかけてようやく覚えたのだが、
新しく登場したのが、まおちゃんと同じように2つ結びの髪型のしずくちゃん

やべぇ・・・顔の区別がつかねぇ・・・

顔の区別がつかないので、常に名札をチェックして間違えないように注意。
そしてそこにさらに新しく加わった、まりあちゃん。

もうとっくに私の頭で記憶できる容量をオーバーしていたのだが、
ここまではなんとか私も踏ん張ったo( ̄ ^  ̄ o)

しかし限界はいきなりやってきた・・・。

新しくあんりちゃんという娘が加わったのだ。

ここで頭の中にぎりぎり存在していたまりあちゃんの名前が完全に吹っ飛び、
その後、しずくちゃんの名前もしずくだったかしずねだったかわからなくなり、
最後には必死で覚えたまおちゃんの名前すらまったく出てこない・・・。

完璧、すべてが白紙状態・・・ダメだこりゃ・・・。

子供たちのことがこんな調子なので、お母さんたちの顔も当然覚えられなくて、
最初の頃は、とにかく通り過ぎる人全員にご挨拶。
まるで顔見知りのような顔をして・・・(笑)

話す機会が増えてきて、ようやく多少区別はつくようになってきたが、
いやいや本当に苦労した・・・

昔の私は顔見知りに会っても用事がない限り無視したりしていたこともあった。
挨拶はしても、ツンとした顔をしていたり・・・。
うまくは言えないが、まぁ、あまりいい印象はなかっただろうと思う。

今の自分は、顔も洗えていないし、オシャレな服も着ていない。
全然カッコイイお母さんじゃない。
それなのになぜか昔よりも声をかけられることが増えた。

自分ではよくわからないが、まぁ、何かが変わったんだろう・・・。

誰も私の病気のことは知らない。
だから、私も自分の記憶力のなさを病気のせいにはしない。

誰にも迷惑をかけないように、自分ができる精一杯の努力・・・。

「顔や名前が覚えられません」・・・そう言われて嬉しい人はいない。
たとえそれが病気のせいであってもね・・・。

だから私は今日も必死に、この記憶力のなさと闘っています^^
【2010/06/21】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(15) | page top↑
顔見知りは突然に・・・
先日、いつも行っているスーパーに行った時のこと。
レジで自分の番になった時にレジの人が「こんにちは^^」と挨拶してきた。

よくある、朝行った時に「いらっしゃいませ、おはようございます」
って言われるみたいなもんだろうと思っていたら、相手がこっちを見ている。

(´∵`)? ん?

とりあえず「こんにちは」と返してみるものの・・・

2人の間に流れるおかしな空気・・・。(;^∀^)    (^∀^;)

ちょっと近づいて顔を見てみるが・・・誰なのかわからない・・・。
名札を確認してみるが、名前を見てもピンとこない・・・
私に話しかけているのか? 単なる客に対する挨拶なのか?
むむ・・・う・・・・(ー'`ー;)

すると相手のほうから「さやかの母です」と切り出してくれた。
とっさに「ああ?、気づかなくてすみません」とごまかしたものの・・・

さ・・・・さ・・・・さやかって誰・・・?

この状況からいくと、おそらく同じ保育園に通うお母さんなんだろう・・・。
私はこの人と話したことあるのか・・・? うぅ?・・・思い出せない・・・。

仕方がないので、お母さんの顔から子供の顔を想像したりしてみる。
が・・・・何も出てこない・・・

相手の方が、私を誰かのお母さんと勘違いしてるとか・・・?
いや、自信がないなら「○○ちゃんのお母さんですよね?」とか確認するはず。
確認しないということは間違いなく私のことを知っているということか・・・。

さすがに毎日両手に子供を抱えて歩いているから嫌でも目立つし、
いっつも同じような服着てるし、間違いようがないかもしれない。

さやかって誰なんだ???il||li _| ̄|○ il||li

どうあがいても思い出すことができず、適当に話を合わせてその場を離れる。

翌日旦那にそのことを話して、保育園に行った時にその親子を探してみた。
すると、旦那の方から「もしかしてあの人じゃない?」と言ってきた。
廊下の片隅で髪の毛を結んでいる女の子とお母さんの姿。
「あ、本当だ。・・・ん? でもなんでわかるの?」

「お前、前にあの人と何回か挨拶したり話したりしてたよ(・ω・)」

ええーーー!!マジっすか!?・・・Σ(`Д´;)

まったく記憶にない・・・。
一度は覚えたものの、途中で完全に記憶から抹消されたということか・・・

何がきっかけで話すようになったのか覚えていないし、
そもそもこの親子の顔すらまったく記憶にない・・・。

はぁ?、なんてこった・・・il||li _| ̄|○ il||li

記憶力がないことは前からわかっていたが、
ここまでキレイさっぱり忘れてしまっていると、ちょっと恐怖すら覚える

仕方ない・・・もう一度覚えなおすか・・・。
今度こそは忘れませんように・・・(ー人`ー;)
【2010/09/13】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
我が家の夏、耐える夏
この夏は私にとって、とにもかくにも苦しい夏となった。
4月に長女と双子が保育園に入園し、長男が中学校進学、
旦那は勤務体制が変更になり、昼間家にいる時間が激減。
土日もほとんどお休みなし。

この大きな生活の変化になんとか対応していこうともがいたものの、
精神的負担、肉体的負担は増すばかりで、体調が良くなるはずもなく、
起きているのか寝ているのかわからないような状態だった。

そんな中、えなり三男がチャイルドシートから落ちてケガ。
右眉の辺りを2針縫った。
ぱっくり割れた傷口と流れる血を見ながら自分の限界を感じていた。

こんな生活が成り立つはずがない・・・。
体をギシギシいわせ息切れしているような自分が、
注意力散漫な状態で、大量の荷物を抱えて、3人もの子供を送り迎え。
こんな危険なことを継続していていいはずがない・・・。

いったいどうすればいいんだ・・・。
この選択は本当に正しかったのだろうか・・・?
何か他に方法はないのだろうか・・・?

どれだけ思い悩んでも、働くことをやめているこの頭ではどうすることもできず、
ただただ時間だけが過ぎていった。

子供を3人も保育園に預けていると、相当な荷物の量になる。
月曜日などは、バスタオル6枚、フェイスタオル6枚、手拭用タオル3枚、
着替えが6枚に水筒3つ、パジャマ、おしぼり、連絡帳・・・。
パンパンに詰めた袋が実に5つにも6つにもなる・・・。

長男が夏休みに入ってからは、毎日毎日食事の用意が待っていた。
自分だけなら食べなくてもいいが、
ハードな部活をこなしている長男はそういうわけにはいかない。
作って、洗って、買い物、作って、洗って、買い物・・・。

逃げ出したかった・・・。
何もかもを放り出して、逃げてしまいたかった。
もう嫌だ・・・こんな生活・・・。

どうすることもできず、苦しみもがいているうちに8月が終わった。

プールが終わり、3人分のプールバッグが不要になった。
双子たちはトイレトレーニングが順調に進み、オムツが不要になった。
そして年少組のお昼寝も終了になったため、さらに荷物は減った。
これから先、もっと涼しくなれば水筒も着替えも不要になる。

苦しみのピークが過ぎた・・・。

少なくなった荷物を見ながら、
「ああ、私は、この最も苦しい夏を乗り越えてしまったのだな」
と思わず苦笑いがこぼれてしまった。

平穏な日々、休息が必要だとわかっていながら自分にムチを打ち続け、
気が狂うほどの孤独と苦痛に耐え続け・・・。
何のためにそんなことをしているかすらわからなくなっているというのに・・・。

私はどうしようもないバカなのかもしれない・・・。

もっと要領良く生きられたらいいのに・・・。
もっと自分中心に生きられたらいいのに・・・。

でもそんなバカさ加減が自分らしさなのかも・・・とちょっと思った。

逃げ出してしまった過去は、いつまでも自分の中に闇を作ってしまうが、
乗り越えた過去は、自分の中で最高の糧となる。

私は、いつか笑って話すのだろう・・・。
まぁ?、あの時は苦しかったなぁ?(^∀^)・・・と。
【2010/09/15】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
価値観の変化
ここ数年で私の価値観はいろいろと変わった。

うつ病になって何事にも興味を持てなくなったのがきっかけだったが、
それまでこだわってきたもの、好きだったものがだんだんと変化していった。

まずオシャレをしなくなった。
最初はうつ病で何もできなくなってしまったから仕方なくそうなったのだが、
何年もまともに顔を洗わない生活をしているうちに、
オシャレをすることがバカバカしくなってしまった。

だって・・・誰に褒められたいの?

公園や遊園地や動物園。
地面がドロドロだったり、歩き回らなきゃいけないというのに、
そんな場所にヒールやミニスカートが必要だろうか?

普段はほとんど子供たちと一緒。
だったらピラピラした生地も、汚されて困るような大事な服も不要。
夏はスリッパ、冬は運動靴、これで十分 ┐(´ー`)┌

どれだけ綺麗に化粧をしようが、どれだけ流行の物を着こなしていようが、
結局オシャレなんて自己満足の世界。

くそ忙しい毎日の中で、そんな自己満足に時間を費やすぐらいなら、
ちょっとでも長く休憩時間を確保したい・・・

30歳も半ばを過ぎてとうとう私もオバちゃん化してしまったのか・・・。

しかしこの心境の変化は自分にとってプラスだった。

昔の自分は、自分の格好を気にするのと同時に、他人の格好にも厳しかった。
自分から見てオシャレに見えない人をどこかバカにし見下していたのだ。
「あんな人とは仲良くなりたくないな」・・・と。

でも、そんなふうに「あの人の格好が気に入らない」だの、
「あの人の性格が気に入らない」だのと他人を批判し拒絶ばかりしているから、
結局いつも孤立し、どんどん孤独に陥っていった。

そしてそんな自分を
「環境に恵まれていない」「運がない」と思い込んでいた。

本当は寂しいのに、誰のことも受け入れられず、
受け入れられないから、自分も受け入れてもらえない・・・。

それが、自分が格好を気にしなくなったら、他人の格好も気にならなくなり、
パジャマのような格好をしているような人と一緒にいても平気になった。

特別無理に友達作りなんかしなくても、
自分が拒絶するのをやめれば人は離れていかないということを知った。

今の旦那と知り合った頃に買ったキャラクターTシャツ。
大きめサイズでラクチンなため、妊娠中からずっと愛用し続け、
気がつけば洗濯のし過ぎでボロボロ・・・

でも、まあいいや・・・来年買えば・・・。
んで、1年たっても同じこと言ってたりする・・・(笑)

でも、いいんですよ・・・そんな感じで・・・。
他人に評価されるためじゃなく、自分の好きなものを着る。

人の価値は見た目じゃない。
そして自分の価値も見た目じゃない。

・・・てか、生きていくのに価値なんか必要ない。
生きたきゃ生きればいい。
誰の許可も必要ない。(´ー`)


・・・つづく
【2010/10/21】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
気付きと前進
過去の自分を振り返って思うことがある。
それは何かにつけて、私は他人の評価を気にしていたということ。

認めてもらう、受け止めてもらうという経験がないゆえだろうが、
必要以上に、認めてもらえないことに恐怖を感じていたと思う。

つい最近思い出したのだが、長男がまだ小さかった頃、
私は風呂場の鏡や車の窓ガラスを手で触らないようによく注意していた。
手で触ると跡が残るからである。

はてさて、風呂場の鏡に手の跡が残っていていったい誰が困るというのか?

・・・私が困るのである。
掃除が行き届いていないと思われるのが嫌だったのだ。

でも今考えてみればおかしなことだ。
風呂場の鏡が汚れているといって、いったい誰に注意をされるのか?
風呂場の鏡は必ずしもピカピカでなければいけないのか?

どうやったら認めてもらえるのかわからない。
どうやったら受け入れてもらえるのかわからない。

だから必要以上にミスを犯すことに神経質になっていた。
失敗すれば見放される、バカにされる、あきれられる・・・。

長男の育児はすべてにおいてそうであった。
個性なんか完全無視して、
ひたすら他人に評価される子供に育てようとしていた。

私は疲れ果ててしまった。
だって何をやっても自分が認められる日は来ないのだから・・・。

長女や双子が生まれ、我が家は手が付けられない状態になった。
片付けても片付けても散らかされ、足の踏み場もない。

玄関には常に靴が散乱し、プラレールの線路やしゃもじまで・・・。
もうあきらめるしかない生活だった。

でも、そんな散乱した玄関を見た人たちが言った言葉は、
「小さい子がいるから仕方ないよ?(^^)」だった。

誰も私を叱らない・・・。

散らかった玄関も、足の踏み場もないリビングも、
それを見ても誰も何も文句を言わない。
長男の友達も普通に入ってきて、普通に遊んで、普通に帰る。

誰もこの汚れ具合が気にならないの・・・?
気にしているのは私だけ・・・?

私はいったい何を恐れていたのだろうか・・・。
汚れた部屋を注意する、この世のどこにも存在しない生き物?

そんなどうでもいいことのために長い間神経を擦り減らしていたのか・・・。
なんとくだらない・・・。

神経質な性格は簡単には変わらなかった。
でも、他人の評価を気にしてやろうとしていることはやらなくなった。

風呂場の鏡は触り放題、車の窓ガラスだって落書きしていい。
散乱したおもちゃだって、足で蹴り飛ばせばとりあえず通路は確保できる。

そんな図太くなった私を見て、保育園のお母さん達が言う。
「ガアラさんはおおらかだよね?、うらやましい?。」

誰も昔の私の神経質さを知らない。
私は変わったのだ。そして、昔とはまったく違う人生を歩いているのだ^^
【2010/10/25】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
うつ病主婦の食卓
うつ病になって料理ができなくなってしまう人は多いと思うが、
以前は私もまったく作れない時期があった。

何度冷蔵庫を開けても何を作ればいいのか思いつかない、
・・・というのか、何をしたらいいのかがわからない。

それまで長年台所に立って料理をしていたはずなのに、
包丁とまな板を取り出してみても、ただ眺めていることしかできず、
買い物に出かけても、何を買ったらいいのかわからない・・・。

そんな状態からスタートして、
おにぎりが作れるようになり、玉子焼きが焼けるようになり、
とにかく1品でもいいから、自分で作った料理を出すことを目標にした。

買ってきた物ばかりの食事の中に、ポツンとある玉子焼き。
その玉子焼きが、やがて目玉焼きになり、ゆで卵になり、オムレツになった。

1品が継続的に作れるようになったら次は2品。
2品が作れるようになったら次は3品。

冷凍のコロッケをただ揚げるだけでもいい、チンして袋から出すだけでもいい、
とにかく、自分で必ず何かをすることを目標にした。

そしてその次は、自分でメインの料理を作ることに挑戦。
しかし、これは少々キツかった。。。

もともと私は料理が得意でもないし、好きでもない。
頑張ってみようと料理の本を見てみても、なかなか気力がわかない

一気に進むのはやはり無理だとあきらめて、
まずはチャーハンやオムライス、野菜炒めなど、簡単なものから。

毎日は続かないので、最初は週に1回からスタート。
それが週に2回になり、3回になり、今では毎日作れるようになった。

そんな私の今の目標は魚介類の料理を増やすこと。
子供たちは魚が好きなのだが、私は魚介類の料理はもともと苦手。
よっぽど体調の良い日でないと、料理本とにらめっこしながらは作れない。

でも、たまにでも魚料理が出てくると、子供たちは大喜び。
「おいしい! もっと食べたい! また作ってね♪」

そんな嬉しそうな顔を見ていると、もっと作ってあげたいなぁと思う。

ここまで来るのに6年もかかってしまった。
でも、そんな苦労も忘れてしまうほど、
子供たちに手作りのものを食べさせてあげられることは嬉しい。

料理自体は、一生好きになれない気がするが・・・(笑)
【2010/12/06】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
うつ病母ちゃんと大掃除
明けましておめでとうございます。
年末はなんだかバタバタと忙しく、すっかり更新が滞ってしまいました。

今回の年末は珍しく良い感じで大掃除ができました。
うつ病になってからというもの、やろうと思ってもできないことは数知れず、
毎年年末の大掃除も何も手が付けられずに終わることが多かったです。
でも今回は、少しでも前進するためにやり方を少々変えてみました。

とにかく細かいところは見ない

大掃除に限らず、普段からそうなのですが、
私は、誰も気づかないだろうと思うぐらい小さな小さな汚れまで、
目に付いてしまうと気になってしょうがないんですよね

それで狂ったようにその小さな汚れを取ることに執着してしまうので、
アホみたいに時間だけがかかって、
全体的に見るとどこを掃除したのかまったくわからないという・・・(笑)

それで今回は、とにかくできるだけ広い範囲を掃除することを目指しました。

まずは家全体の埃を払い、拭き掃除。
カーテンレール、エアコン、冷蔵庫の裏、窓・・・。

今までだったら、ちゃんと汚れが取れてるかどうかチェックするところだけど、
拭いたらおしまい、もう見ない(- -)

台所も、小さな油汚れまで取ろうと思ったらすごく時間がかかるけど、
これもササッと拭いて取れないものは放置。
「遠目に見れば、誰も気づかないぞ!」と自分に言い聞かせる(- -)

見事に家は日に日にキレイになっていきました。
細かいところは汚れていても、全体的に見るとなかなかキレイ

うむ・・・こうやってやったほうが掃除したって感じがあっていいかもね、
・・・なんて自己満足に浸っておりました。

ところが、ほとんどの掃除を終え、何気なく玄関へ向かうと、

そこには恐ろしい光景が・・・Σ(゚Д゚|||)

つい数日前掃き掃除をし、整理整頓したはずの玄関に、
あるはずもないトイレットペーパーの山。
しかも半分ぐらいは紙が引っ張り出されてぐちゃぐちゃ・・・。

そしてこれまた玄関にあるはずがない枕が3つ。
そしてその枕の上には投げ捨てられた補助便座、掃除道具・・・etc。
見事に玄関全体が物で溢れかえっていました・・・。

犯人は間違いなくこいつら⇒(長女+双子)

・・・まぁ・・・そんなもんさ・・・掃除なんて・・・il||li ○| ̄|_ il||li
せっかく片付けたって半日もすりゃあ元通り。
布団干した当日に、布団の上でおもらしなんて当たり前。
そうそう・・・そんなもん・・・。

でも・・・でも・・・

ぐおおおおっ???!!!щ(`皿´щ)

今年も強烈なストレスと戦い続けるうつ病母ちゃんでした。
【2011/01/05】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
神の存在
「うつ病と離婚」のカテゴリーを読んでもらえばわかるが、
私と元夫との結婚生活はボロボロだった。

嫁姑関係の悪化に、元夫の兄の多額の借金。
毎月の返済額は約30万・・・。
これから先どうやって生きていけばいいのだろう・・・。

人生のどん底だと思った・・・。
笑えるぐらい不幸だった。

もうこれから先、外食をすることもできなくなるだろう。
最後にもう一度だけ、腹いっぱいおいしいものを食べようと、
家族で外食に出かけた。

そして、その最後の外食をした店で財布を失くした・・・。

驚いた・・・・。
そして絶望し・・・恐怖した・・・。

もうこれ以上の不幸はない、今がどん底だと思っていたのに、
まださらにその下があったなんて・・・。

そしてそこから先も、元夫の浮気、交通事故、うつ病発症と、
私はひたすら下へ下へとどんどん墜ちていった。
どん底どころか、不幸は底なし沼だった。

私は神から見放されているのだなと思った。
いや・・・そもそも神様なんて存在しないのかもな・・・と。

神にも仏にもすがることすらあきらめ、
私はひたすら不幸の蜜を吸い続けるしかなかった。

そんな私に転機が訪れたのは離婚を決意してからだと思う。

こんなふうに書くと、離婚をすればうつが治ると誤解されてしまいそうだが、
決してそうじゃない。

離婚するにしてもしないにしても、
大事なのは自分の気持ちや目的がどこにあるかだと思う。

私がそれまで離婚に踏み切れなかった理由は、
経済的な部分と父親という肩書き。

でももうそんなものはいらない。
私が1人で全部背負っていこう・・・そう決めた。

生活のためにせっせと働き、
休みの日には高速に乗って遠くまで長男を遊びに連れて行った。
運転が苦手な私にとってはかなりの挑戦だった。

でも、私は決めたのだ。
父親のいない寂しさを感じさせないように、
父親がやるべきことも全部私がやろうと・・・。

誰かにすがるんじゃない・・・
誰かに期待するんじゃない・・・
自分の力で前に進むんだ。
自分の力でここから這い上がるんだ。

誰かのせいにするんじゃない・・・
誰かを責めるんじゃない・・・
すべての責任は自分が背負っていくのだ・・・と。

不思議なもので、そこからはひどい不幸は訪れなくなった。

今の旦那と再婚したことが正解だったか不正解だったのか、
それだけはいまいち謎なところだが、
死なない程度に飯が食え、離婚しない程度に生活している(笑)

ちなみに、私はこれまで3回交通事故に遭っている。
これははたして、運がいいのだろうか悪いのだろうか?

たった1回の交通事故で命を落とす人もいる。
それを思えば、3回も事故に遭いながら、
ピンピンしている私は運がいいのだろう。

うつ病やパニック障害で地獄のような苦しみを味わったが、
現在はある程度安定した生活を送れている。

薬がやめられなくて苦しんでいる人も多い中、私は偶然にも薬をやめられ、
1日中寝込んでいる人も多い中、
私は朝から晩まで動きまわり、テレビを見てゲラゲラ笑っている。

普通の人と同じようには生きられない。
健康な人と同じようには生活できない。
だけど少なくとも今は底なし沼の中には沈んでいない。

数日前に携帯電話を失くした。
いろんな所を探し回ったが見つからなかった。

見つかりもしないが、悪用もされていない。

可もなく不可もなく。
まぁ、それが今の私の運の流れなのだろう。

今でも神や仏にすがりはしない。
上に上がりたいと思った時には自分で努力する。

そして、誰に対してというわけではなく、
子供たちが生きていてくれること、
毎日ご飯が食べられていることに感謝している。

ただ、このままいくと、
悟りを開いてしまって極楽浄土へ召されそうなので、
適度なずるさや腹黒さは大切にしている^^

神様や仏様がこの世に存在するのかどうかは、死んでから確認すればいい。
私はまだまだこの汚い人間界で、人間くさく生きていきたい。
【2011/03/09】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
死を望む病
うつ病の症状に希死念慮というものがあるが、
私も長い間、この死にたい気持ちに苦しめられてきた。

単なる症状として、時々ふと湧き上がるものだけではなく、
現実的な肉体的苦痛や、どうしようもない絶望的な状況などから、
死んでラクになりたいという思いが常に頭にあった。

でも、子供が1人増えるごとにその思いは薄れていった。
そして、生まれて初めてもっともっと生きたいと思うようになった。

でも、人間の命は永遠じゃない。
生まれたその瞬間から死へのカウントダウンは始まっていて、
こうやってボーッとしている間にも、
自分の寿命は着々と近づいてきているのだ。

私も40歳を目前にし、顔にはしわが増え、白髪も生え、
日々自分の老いを感じる。

わざわざ自分から死ぬ道を選ばなくても、必ず私は死ぬ。

そのことに気づいてから、初めて私は死ぬことを怖いと思った。
まだまだ死にたくないと思った。

もし今私が死んだら、この子たちはどうなってしまうのだろう?

たとえ旦那が必死になって頑張ったとしても、
例えば、服のほつれやゼッケンなど上手に縫ってあげられるだろうか?
靴を洗ったり、アイロンをかけたりできるだろうか?

長女が年頃になった時に、
生理のことや下着のことなど、ちゃんとやってあげられるだろうか?

夜中に目が覚めると必ず私の姿を探すえなり三男。
私がいなくなってもちゃんと泣き止むことができるだろうか?

心配なことを考え出せばキリがない。
こんな状態で死んだら、永遠に彷徨い続けそうだ。

でもどれだけ近くにいようとも、
死んでしまったらただ見ているだけしかできない。

誰かが転んで泣いていても、抱き上げることもできなければ、
絆創膏を貼ってあげることもできない。

料理を作ってあげることも、服を買ってあげることも、
本当に何ひとつやってあげることができなくなる。

そう思えば、たとえどれだけポンコツだろうが、
動く体があるだけマシだなぁと思う。

たとえ体が動かなくったって、話を聞き反応してやることができる。
まぶただけでも、指先だけでも、自分の思いを伝えることができる。
何より、目の前に居てあげることができる。

自分が存在することと存在しないことの違いはあまりにも大きい。

今でも時々ふと死にたい気持ちが湧き上がることがある。
でも、そんな時私はこの腐った脳みそに言ってやる。

死んでたまるか、ボケッ!(`д´メ)
【2011/03/10】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
アムカの傷跡
世の中は東日本大震災で大変なことになっているが、
我が家も長女が重症の気管支炎で大変なことになっていた。

早めに病院に行って薬を飲ませていたのだが、
咳と鼻水がなかなか止まらず、10日目ぐらいに発熱。
いつもは元気な長女もさすがにぐったり。。。

肺炎の一歩手前だということで、点滴をしてもらい、
翌日も点滴してようやく少し症状が落ち着いてきた。

元気な時は生意気なことを言ったり、なにかと腹がたつことも多いが、
いつもはばくばく食べる長女がひとくちふたくちしか食べなくなり、
ソファーでじーっとしている姿は、見ていてとてもツラかった。

長女は細かいところまでよく気がつく娘だ。

以前、私の手に小さな傷ができているのを見つけて、
「これ、どうしたの?痛かった?」と聞いてきたことがあった。

それはほんとに小さなどうってことない傷だったのだが、
その時ふと思った。

私の左腕にはアムカの傷跡が残っている。
長女はいつかこの傷にも気がついてしまうんだろうか・・・。

母親が自分で自分の腕を切り刻んでいたことを知ったら、
長女はどれだけ悲しみ傷つくだろうか・・・。

きれいなものや可愛いものが大好きな長女。
そんな長女にとってこの醜い傷跡がきれいに感じるはずがない。

以前私はこの傷跡を、自分が病気と闘ってきた証拠なのだと思っていた。
何も恥じることはない、頑張った証なのだと・・・。

でも、それは違った。
これは、闘ってきた証じゃない。
私が病気に負けてきた証なのだ。

病気に飲み込まれ、負けた数だけ私は傷を残してきた。
なんとも情けない、みっともない傷だ。

私は心の中で長女に誓った。

どんなにツラくても、もう自分の体に傷はつけない。
長女が喜んでくれるような、きれいなお母さんになろう・・・と。

アムカをしなくなってどれぐらいたっただろうか。
2年か・・・3年か・・・もう覚えてもいない。

きれいな腕には戻らないが、もうこれ以上傷が増えることもない。
長女が私をアムカから救ってくれたのだ。

私は長女に何をしてあげられるだろう・・・。
病気で苦しんでたって、ただ見ていることしかできない。

医者でもなければ弁護士でもない、政治家でもない。
地位も権力も知識もない、なんともちっぽけなただの母親。

だけど、ただそこにいるだけで安心できるのは私だけなのだろう。
抱きしめるだけで心が安らぐのは私だけなのだろう。
世界にたった1人しかいない、長女の母親。

だから私はただ寄り添い、枕元で髪をなでる。

元気になったら、また公園に行って自転車に乗ろう。
一緒にお買い物にも行こう。

お母さんははずっとここにいるよ。
絶対いなくなったりしないからね。
安心してね。
【2011/03/23】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
母との再会
長かった春休みがようやく終わりました。

春休み自体は1週間程度のものなのですが、
我が家は長女が気管支炎で最後まで保育園をお休みしていたため、
看病と通院で疲れ果てた状態での春休み突入でした。

元気を取り戻した長女はそれまでのうっぷんを晴らすかのように、
毎日毎日公園通い。

公園への道は踏切があるため、子供たちは手をつながせて、
私は右手に手押し車2つ、左手で長女の自転車を押しながら歩く重労働

9:30~11:00までめいっぱい公園で遊んだ後は、
家に帰って昼食の用意。
ようやくお昼寝の時間でひと息つけると思っても、
早起きのえなり三男は1時間ほどで起きてきてしまう。

もう・・・母はぐったり・・・(´ _ `|||) 頼む・・・休ませて・・・

でも、時間を見つけてはヘトヘトの体にムチ打って家の掃除をしていました。
・・・というのも、実は春休みに私の母親が家に来る予定があったので・・・。

母親と会うのは4年ぶりぐらい・・・かな?

できることならもう一生会いたくないとさえ思っていたのですが、
親戚の結婚式があり、悩んだ末に我が家に一泊させることにしました。

長女は生まれたばかりの時に病院で数分見ただけ、
双子たちにいたっては、まだ一度も会ったことすらない・・・。
このままでいいんだろうかという思いは以前からありました。

個人的には会いたくなくても、長女や双子たちにとっては唯一のおばあちゃん。
そのおばあちゃんとの思い出が何ひとつないというのは寂しいかな・・・と。

過去の恨みつらみはいったん置いといて、
自分の役割として、子供たちとおばあちゃんを会わせようと決断したのです。

久しぶりの再会の感想は、「こんな人だったかな?」という感じでした。
知っている人のような知らない人のような、相変わらずの現実感のなさ・・・。

愚痴や悪口を話し出すと止まらなくなるのは相変わらず。
でも、家事をやっている間は旦那や長男が相手をしていたので、
私はあまり被害を受けずにすみました。

そして何よりの救いの神は長女とえなり三男でした

もともと人懐っこい性格の2人。
初対面にも関わらず、「おばあちゃん、おばあちゃん」と寄っていき、
「おばあちゃんに磨いてもらう」と歯磨きを頼んだり、
「おばあちゃんと一緒にお風呂に入る」と強引に連れて行ったり・・・。

最初は躊躇していた母親も、すっかりペースに飲み込まれ、
最後には長女と一緒に寝るはめになりました。

大丈夫だろうかという私の心配をよそに、
2階から聞こえてくる、長女の豪快な笑い声・・・。
「おばあちゃん、だーい好き♪」と抱きつく長女の姿。

やっぱり会わせて良かったな・・・と思いました。

ほんの短時間一緒に過ごすだけなら、
子供たちの中に優しいおばあちゃんの姿を残してあげることができる。

母親の悪いクセが出そうな時はすかさずフォローを入れ、
長女たちが悪さをしそうになった時はさりげなくかばいながら・・・。

別れる時に、長女は「おばあちゃん家に行きたい」と号泣しました。
よっぽどおばあちゃんという存在が嬉しかったのでしょう。
いつの日か本当に、おばあちゃん家に行けるといいなと思います。

母親を許したのかといえばそうではない。
過去の傷も苦しみも簡単には消えない。
うつ病になってしまったという事実もなくならない。

でも、私はあの人の娘なのだという執着を捨てたらラクになりました。

私には甘えられる親は存在しない。
他の家庭のように、温かい実家というものも存在しない。
どんなに望んでも、私はそれを手に入れることはできないのだ・・・。
嘆いても悲しんでも怒っても、何をしても手に入らない。

だから私はあきらめたのです。

昔のように、気持ちにフタをするということではなく、
自分の悲しみ、寂しさ、苦しさを充分理解したうえで、
「現実」というものを受け入れました。

これから先は、親と娘としてではなく、
子を持つ母親同士として対等に向き合っていくことになるでしょう。

私は、自分の母親よりも「母親らしい母親」になって、
あの人を越えて行こうと思っています。
【2011/04/08】 | うつ病奮闘記⑧ | コメント(4) | page top↑
祝福の席にて
去年の暮れ頃に親戚から結婚式のお誘いがあったのだが、
結婚式自体面倒くさいし、小さい子が3人もいると周りにも迷惑になるし、
最初は断ろうと思っていた。

でも、長男にきいてみると「行ってみたい」との返事が返ってきた。
「結婚式ってどんな感じなのか見てみたい」・・・と。

以前にも長男は結婚式に連れて行ったことがあるのだが、
小さい頃だったので本人は覚えていないらしい。

いろんなことに興味がある年頃。
経験できることはたくさん経験させてあげたほうがいいか・・・と、ちょっと検討。

双子や長女たちに関しても、親戚が「少々騒いでも気にしなくていいし、
皆で手伝うからぜひ参加して」と言ってくれたので行くことに決定した。

式場は綺麗に着飾った人々や、お祝いムードでなんともいえない雰囲気。
「結婚」って本来こんなにめでたい感じのものなんだなぁ~としみじみ。

最後に花嫁が両親への手紙を読んだ。

お父さんにビンタされたこと、
何度も家出をしようとしたこと、
両親のことが嫌いじゃないのに、反抗してばかりだったこと・・・。

そんな大変なことがあったなんて私は全然知らなくて、正直ビックリした。
どこの家庭にも様々な問題があるんだよね・・・。

赤ちゃんを産むとか、子供を授かるとかって、
なんだか幸せの絶頂みたいな穏やかで優しいイメージがあるかもしれないけど、
実際の子育ては本当に親と子の壮絶な戦いだったりする。

親の気持ちなんて子供は全然理解してくれなくて、
子供の気持ちだって、親は全然理解してくれなくて、
戦って戦って、泣いて怒って・・・。

家族って何なんだろうなぁ・・・。

久しぶりに親戚たちに囲まれて、長男は嬉しそうだった。
本人には記憶がなくても、親戚の人たちは長男のことを覚えていて、
「大きくなったなぁ~」とか、「痩せたな~」とか声をかけてくれる。

姉の娘も、長男に「昔、一緒に遊んだことあるんだよ。覚えてる?」
と声をかけてくれたり・・・。

血のつながりとか、親族だとか、以前は大っ嫌いだった。
うつ病やパニック障害になってから、もっと嫌いになった。

でも、久しぶりに親戚たちに会ったらなんともいえない気持ちになった。

以前、「他者とのつながり」という記事を書いたことがある。

自分の家族や親戚たちとのつながり・・・
それがいったい何なのか、答えは未だにわからない。

太くつながるわけではなく、かといって途絶えるわけでもなく・・・。
嫌な過去を思い出したり、ほっとする瞬間があったり・・・。

私は相変わらずの離人感で、誰とも同じ世界を共有できずにいる。
こんなににぎやかで笑顔に満ち溢れた場所にいても、
やっぱり私は1人だ。

たくさん会話をして、たくさん笑って、たくさん食べても、
やっぱり私はそこには存在していなくて、
生きている実感もなく、まるでテレビの画面を見ているようにしか感じられない。

久しぶりに、病気であることを苦しいと思った。
でも、皆と同じ世界を生きられそうな感じもしなかった。

私はこれから先どうなっていくのだろう・・・。
私の未来はどこへと続いているのだろう・・・。

ただぼんやりと、そんなことを考えた日だった。。。
【2011/04/19】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
うつ病主婦vs副鼻腔炎
子供たちのアレルギー性鼻炎とともに私を苦しめていたのが副鼻腔炎

4月の半ば頃に風邪を引いたのだが、いつまでたっても治らない。
だんだんと鼻水が喉に流れ込むようになり、咳はひどくなるは、
胸のあたりに痰がたまってるような感じで吐き気をもよおすは・・・。

普段はめったに病院に行ったりしない私だが、
さすがに今回は限界を感じ耳鼻科を受診した。

診断結果は急性の副鼻腔炎。
薬を飲めば治りますよとのことだったが、1週間たっても治らず再受診。
今度はアレルギーの薬が追加されたのだが、
これが眠気がすごい・・・(o_ _)o.。oO

ひたすら眠気と胃の痛みに耐えながら一週間。
やっぱり治らず再受診。
もうこの時点で風邪を引いてから1ヶ月半くらいたってる・・・

そしてこの数日後ようやく症状が落ち着いてひと安心していたのだが、
2~3日したらまた咳がこんこん・・・。

しばらく様子を見てみたが、日に日にひどくなるばかり・・・。
あきらめて再受診。

また前回と同じ1日13錠もの薬をちょうだいし、
はぁ~と溜め息。

鬱で通院してた時でさえこんなに飲んでなかったのにと思いながらも、
さすがにこれは飲まなきゃどうにもならん・・・と我慢の日々。

そして、病院行って2日後・・・発熱(_ _;)+生理。

なんなんでしょうか・・・これは・・・。

んで、今日は外に出かけたり掃除をしたりする元気がないので、
こうやってブログ書いてます(笑)
現在の体温は38.8℃。

JAM projectに元気をもらいながら、今日もなんとか生きてます。。。


【 Rocks 】 JAM Project
【2011/06/09】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
試練は続くよどこまでも
7月です。
我が家はこのところずっと発熱が連発していて、
外の暑さとともに私の頭も吹っ飛びそうです。

5/26の長女の発熱からスタートし、
私→長男→ゴルゴ→旦那→えなり→ゴルゴ→長女 

しかも、この最後のえなりとゴルゴの二度目の発熱は、手足口病でした。

いったい何回病院行きゃあいいんだ・・・il||li _| ̄|○ il||li

疲れもストレスもマックス状態です。。。

6月に入り、やれお昼寝の用意だ、プールの用意だ、
発表会だとやることがどんどん増え、
さすがの私も軽くパニックの発作に襲われました。

なんとか身も心も休める時間を確保したいともがいてみたが、
手足口病になったため一週間まったく保育園に行けず・・・

呼吸が苦しいからなんだっつうんだ!
動悸が激しいからなんだっつうんだ!

もう完全あきらめモードで、鉛のようになった体をひきずり、
朝から散歩に連れて行ったり、水遊びをさせたり・・・。

ようやく手足口病が治り保育園に行けるようになったと思ったら、また鼻水。
そして台風

うがぁぁぁ~~~~っっщ(T∀T)щ

明日、あさっては長男の部活の大会があるためお弁当を作らねば。
歯医者にも連れて行かねば。
庭の草もむしらねば。
金魚の水槽も掃除せねば。

ぐわーーーーっ!!!ぐおおーーーっ!!!

おーい!私の休日はどこ行った???

明けない夜はないなんて誰が言った
止まない雨はないなんて誰が言った

この家じゃあ夜も明けねぇし、雨も止まねぇ~ぞ
なんてこった・・・・。

まぁ、こんな調子なのでブログもなかなか更新できず・・・
書きたいことはいっぱいあったのだけど、
時間だけがどんどん流れていってしまいます。。。

まぁでも、これは悪いことばっかりではなくて、
それだけ私が現実の世界を生きられるようになったということでもあります。

まだまだ気分が落ち込んだり、被害妄想に駆られたり、
様々な症状には襲われますが、
それでも必死に現実と向き合って生きています。

戦い続ける病人は今日も健在です(笑)
【2011/07/20】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(11) | page top↑
ただの愚痴ですw
前回の記事にも書きましたが、我が家はもう延々と病気が蔓延していて、
手足口病でようやく終わったかと思っていたのですが、
保育園が盆休みに入る一週間前に今度はマイコプラズマに感染・・・。

ゴルゴが発熱し、その翌日に長女、またその翌日にえなりと連続で発熱。
高熱が続くし、途中から咳もひどくなり、
こっちでコンコン、こっちでコンコン・・・

それもやっと終わったと思ったら、またえなりが発熱。
去年の夏は全員元気だったのに、今年の夏はいったいどうなっているんだ・・・。
さすがのうつ病母ちゃんももうガタガタです・・・。

でもそんな私の心の支えはやっぱり子供たちです。

えなりは今反抗期真っ盛りで、暇さえあれば大泣きしています。
疲れた心と体にこの大泣きはかなりこたえるのですが、
そんなえなりの肉体はぷにゅぷにゅです。

皮膚が大福みたいに柔らかくてぷにょ~んてよく伸びる。
体系も、トムとジェリーのジェリーみたいで可愛いし・・・。

ゴルゴはいたずらばかりで本当に困ってしまうのですが、
病気でどよ~んとした空気の中でも皆を笑わせてくれる貴重な存在。

長女は生意気なことを言うことも多いですが、大事な私の理解者。
男だらけの我が家では、清潔に気をつけるのは私と長女だけです。

長男は部活も休みに入ってから毎日ゲームに明け暮れていますが、
私が疲れてイライラし出した時にはさりげなく手伝ってくれます。
今までやってこれたのは長男の助けがあったからだとつくづく思います。

「おかあちゃ~ん、はらたくくるま(働く車)観る~~
「お母さ~ん、すりべだい(すべり台)やってくる~
「おかあちゃん、ミロコン(リモコン)あったよ~」

こんな可愛い言い間違いも今のうちだけ。
ぷにゅぷにゅの肌も、抱きついてくる暑苦しさも・・・
全部、全部今しかないもの。

嫌で嫌で逃げ出したくなる毎日は、二度と戻らない大事な時間。

・・・・・・と、自分で自分で励ましています。

あ~~、しんどい・・・(笑)  
【2011/08/25】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
自分管理
早いものでもう12月。今年も終わりですね。
毎日を忙しく過ごしていると、病気のことなど忘れてしまいそうですが、
相も変わらず、状態はこれといって良くもありません

楽しいこと、面白いものが好きなのに、そんな自分を維持できない。
人と会ったり、電話で話したりすることが苦痛だし、
記憶力も回復しなければ、肉体的な疲労感がなくなることもない。

やっぱり自分は病んでるんだな・・・仕方がないんだな・・・。
そんなふうに感じて、もう明るい人を演じるのはやめようとさえ思う。
だけど、鬱で落ち込んでいる自分だけでもいられない。
結局、楽しさや面白いものを求める自分が消えないのだ。

私って、いったい何なんだろう・・・。

明るい自分と暗い自分の差が激しすぎてわからなくなってしまう。
どっちも自分だけど、どっちも自分じゃない・・・。

結局、こんなわけのわからない自分をコントロールするために、
もう1人、冷静な自分が必要で、
今はストレス発散をすべき時か、体を休めるべきかなど考えて行動する。

例えば、天気が悪い時には体調が悪いことが多い。
だから天気が崩れた日に無理に体を動かさずにすむように、
前もって必要な買い物を済ませたり、用事をこなしたり。

生理の後も、たいてい貧血気味になったり体調不良になるので、
体調が回復するまでの間どう過ごすかを前もって考え準備する。

気分が落ち込んだ時、誰かに憎しみや怒りを覚えた時、悲しくなった時、
それは自分の感情じゃない、体調が悪くなっているというサインだと、
言い聞かせ、行動を起こさないようにセーブする自分。

私という人間は、この世の中に自分1人しかいないのだけど、
私は自分で自分の感情や考えを信用していない。
明るい自分と暗い自分はまったく別物だから・・・。

じゃあ冷静な自分が本当の自分なのかというと、そうでもない。
それはあくまでも自分をコントロールするために必要なだけで、
人間と呼べるほどの存在でもないから・・・。

なんだかややこしいですね・・・

こういう難しい感じの記事を書いている日はだいたい鬱っ気が強いです。
・・・というのか、少々うつ気味の時じゃないと、
なかなか記事も書けません(笑)

私はもともと文章を書くのも読むのも苦手なので、
元気すぎると記事が書けなくなってしまうんです。
面倒くさくなってしまうんですねw

でも、ちょっとうつ気味になると、書きたいことが山ほど出てくるし、
吸い込まれるように病んだ記事を読みに行ってしまいます。

でもこれがさらに悪化すると今度は何もかも消し去りたい感じになったり、
まったく頭が働かなくなってしまうので、やっぱり記事は書けません。

自分を管理するのはなかなか大変です(^^;)

今日はお天気が悪いです。
何もせずに寝ていたほうがよい日のようです。
【2011/12/01】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
インフルエンザと熱性けいれん
先週半ば、えなりが熱を出した。
かかりつけの耳鼻科に行くと、我が家で初のインフルエンザ
 
そしてその翌日には長女、その翌日には旦那と、
見事に次から次へとバタバタとインフルエンザで倒れていく・・・

実を言うと、えなりが発熱する数日前、
長女と双子はようやくインフルエンザの予防接種を受けたばかり。

今まで、体調がいい時を見計らってと思っているうちにタイミングを逃したり、
ワクチンがなくなったりで受けられず、今年こそはとようやく受けたのに、
受けた年に限ってこの有り様。。。

こんなことなら予防接種受けなきゃよかった・・・il||li ○| ̄|_ il||li

えなりはこれまでも結構高熱を出すことが多かったのだが、
今回も見事に40℃超え。

そしてこれまた初の熱性けいれんを起こした

体がビクビクビクッと急に変なふうに動き、しばらくすると白目をむいて、
顔色も青白いやら紫やら茶色やら、なんかわけのわからない色になり、
そりゃあもう慌てたのなんのって・・・((((;゚;Д;゚;))))

そして最後の最後まで発症せずにねばっていたゴルゴだったが、
結局発熱・・・そしてけいれん

昔、「一週間の歌」という歌を学校で歌ったことがあるが、
それを我が家版の替え歌にすると・・・

木曜日にえなりが倒れ 金曜日に長女が倒れ
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー・・・

土曜日に旦那が倒れ 日曜日は私も倒れ
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー・・・

月曜日に長男が倒れ 火曜日にゴルゴが倒れ
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー・・・

友達よ これが私の一週間の仕事です

・・・って やってられるかーーーっ!!щ(`皿´щ)

ちなみに、このインフルエンザの嵐が吹きまくっている中、
私と長男はなぜか普通の風邪だったようです。
なんでだろう~~~???(笑)
【2011/12/15】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
年始の挨拶
明けましておめでとうございます(_ _*)

皆さん、年末年始はどのようにお過ごしだったでしょうか?

私は子供達の冬休みが始まると同時に生理が始まり、
普通に家事をやるだけでもしんどいというのに、
毎日公園に行ったり、買い物に行ったりですっかりバテてしまいました。。

子供はほんとに元気ですね。
どんなに寒くても平気で外を走り回っています

双子がまだ赤ちゃんだった頃、「大変だねぇ~」とよく声をかけられました。
双子用の大きなベビーカーを押しながら幼い長女を連れている姿は、
他人の目から見たらいかにも大変そうで、おもわず励ましたくなるのでしょう(笑)

そしてその時によく言われてたのが、
「今は大変だけど、そのうち子供同士で遊ぶようになったらラクになるからね」
ということでした。

私はそれまで長男しか育てたことがなかったので、
正直その意味がわかるようなわからないような・・・という感じでした。

1人っ子の場合は絶えず親が遊び相手をしないといけなかったので、
ほんとに大きくなるまでずっと大変でした。
子供同士で遊ぶっていってもどうせケンカするだろうし、
いったいいつになったらラクになることやら・・・と。

でも気がついてみれば、子供だけで遊んでいる時間がずいぶん増えていました。

私は相変わらず体力がないので、午後はどうしても昼寝をしないと持ちません。
それで、子供達が昼寝をしなくなってからは、
「ちょっとだけ休憩させてね」と言って私だけ30分ほど寝かせてもらいます。
子供達はぐずるわけでもなく、仲良く遊んでいます。

そしておやつを食べた後なども、「外で遊んでいい?」と聞いてくるので、
「いいよ」と答えると3人で庭に出て延々と遊んでいます。

最初の頃は勝手に道路のほうに飛び出していたり、隣に石を投げ込んだりで、
叱ることも多かったのですが、今ではある程度言うことも守ってくれています。

下駄箱の靴が大量に庭に散乱していたり、駐車場が砂だらけになっていたり、
まぁ結局ロクなことはしてないんですけどね・・・( ̄∀ ̄;)

子供同士で遊んでいるとよくケンカになります。
おもわずひっかいてしまったり、噛み付いてしまったり・・・。

「もうゴルゴとは遊ばない!」「もうえなりなんて大っ嫌い!」
そんな言い合いも日常茶飯事。

でもそうやってケンカしながらもくっついている3人の姿を見ていると、
昔の自分はなんて神経質だったんだろうかと思います。

行動のひとつひとつ、言葉のひとつひとつを重く捉え過ぎて、
誰がいけなかったのか、どう対処すべきなのかを深く追求し、
常に裁判官のような態度で子供に正義を伝えようとしていた気がします。

でも本当はそんなにきっちり善と悪を分ける必要はなかったんですよね。
誰かに叩かれた、誰かに噛まれた、誰かに意地悪された・・・
子供達は毎日いろんなことを言ってきます。

私はただ「そっかぁ~、痛かったね~」「嫌だったね~」と言うだけです。
もちろん状況によっては叱らなければいけないこともありますが、
子供達だけで解決できることも意外と多いものです。

今日からまた3連休。
上手に休息を取りながら、なんとか乗り切りたいと思います^^
【2013/01/12】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
それぞれの春
早いものでもう3月も終わりですね。

長女はこの春から小学1年生になります。

ピカピカのランドセル。新しい鉛筆。新しい筆箱。
お友達たくさんできるかな?
新しい先生はどんな人だろうね?

卒園の時に長女からもらった手紙には、
「がんばってしょうがっこうまであるいていくね」と書いてありました。

赤ちゃんの頃からのことを思い出し、
改めて成長したなぁ~~と感じます。

私がうつを発症したのは、長男が小1の時でした。

今の長女のように新しい生活に期待と不安を抱き、
でも一生懸命前を向いて進もうとしていた頃。。。

今、長女を見ながらいろいろなことを考えます。

あの時の長男も今の長女と同じぐらい幼くて頼りなかったんだよね。
それなのに私はうつになって長男を1人ぼっちにしてしまった。
どれだけ不安でどれだけ悲しかっただろうか。。。

当たり前のように親にわがままを言い、甘え、兄弟ゲンカし、
ゲラゲラ笑ったり、わ~わ~泣いたり・・・
そんなにぎやかな生活の中にいる長女がポツンと1人で座っている姿。。。

想像しただけで涙が出ます。
自分の犯した罪の重さを実感します。

好きでうつになったわけじゃない。
自分から望んでうつになったわけじゃない。

だけど長男に孤独な生活をさせてしまったことには変わりない。
笑えない、甘えられない、話せない・・・・。
そんな毎日を送らせてしまった。何年も・・・何年も・・・。

生意気な口をきき、全身を使って必死に甘えようとする長女。
腹が立つこともあれば、疲れてしまうこともあります。
でもそれと同時にホッとするのです。

自分の思いを吐き出せているんだな・・・と。

長女には長男と同じ思いをさせないように・・・。
それがずっと私の目標でした。
もうぜったい同じ過ちを繰り返さない。。。

私のうつのせいでたくさんの苦労を経験してきた長男はもうすぐ高校生になります。

いつの間にか、どす黒い時期があったなんて思えないような毎日になり、
本格的に受験が近付いてきてからもピリピリする様子もなく、わりとのんびり。

周りを見渡せば、それなりに思春期、反抗期らしい家庭も多いのですが、
我が家は比較的平和に中学時代が過ぎました。

卒業式の時に長男からもらった手紙には、
「嫌なこともたくさんあったけど、
自由にやらせてもらえたから良かった」と書いてありました。

いつの間にか自由な家風が我が家の自慢になっていたようです。
昔の自分とは正反対になりました。

嫌だった過去を消すことはできない。
悲しかった思い出も、つらかった記憶も消すことはできない。

でもこれから先進む道を変えることはできる。
悲しい思い出の上に楽しい思い出をたくさん積み重ねることで、
きっといつか、楽しさが悲しさを上回る日がやってくる。

ずっとそう思って、1日1日を楽しく過ごすための努力をしてきました。

ようやくほんの少しその努力が実ったのかなと感じました。

これから先もまだまだ育児生活は続きます。

当たり前のことを当たり前に・・・・。
まだまだ完治とも寛快ともほど遠い自分にはすごく大変なことです。
でもあきらめずに努力し続けようと思います。

たくさんの笑い声が聞こえるように・・・。
たくさんの笑顔が見られるように・・・。
【2013/03/26】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
毎日大変です。。。
長男の高校入試が終わってホッとしたのも束の間、
合格が決定して喜んでる間もなく、
すぐさま今度は入学に向けて、制服やら教科書やらカバンやらの用意。
そしてそれと同時進行で進む、長女の卒園、入学準備。

入学式が終わればどうにかひと段落できるかと思えば、
後から後から渡される用品に名前を書き、
何枚も何枚も書類を書いては提出する毎日。

朝は今までより早起きして、長男用にお弁当を作り、
学校や保育園や子ども会の行事に参加。。。

忘れ物がないように毎日毎日プリントとにらめっこして、
何度も何度も確認の作業を繰り返す。

今まで通り週一の耳鼻科通いに予防接種。
やれぎょう虫検査だ、やれ検尿だ、やれ宿題だ、やれ廃品回収だ・・・。

とても自分にこなせる量ではないことはわかっていた。
でも、できないと言ったところで代わりに誰かがやってくれるわけでもない。

すぐに限界はやってきた。

何度も何度も確認作業をしているにも関わらず、
名札を忘れたり、ノートを忘れたり、必要書類を忘れたり・・・。

そして、とうとう学校の行事もまるっと完全に忘れてしまった・・・。

30分程度見学するだけの簡単な行事だったし、
私が来なかったことを長女が気にする様子もなかったのでよかったが、
必死に覚えたことがスポンと抜け落ちてしまうのは相変わらず気分が悪い。

気がつけば、日付の感覚もまた無くなってしまっていた。
仕方がないので1日に何度も今日が何日の何曜日なのか確認する。

そしてさらに神経質なぐらいに確認作業を繰り返すように気をつけてみたが、
今度は学校で行われるハーモニカの販売を見事に忘れてしまった。

当日しか購入できないので絶対に忘れちゃいけないとカレンダーにしっかり書き、
当日も、何度も何度もカレンダーを見て確認した。
・・・でも忘れてしまった・・・。

夕方になってようやく思い出し、学校に問い合わせ、
先生の方から業者さんに追加注文してもらう形になった。

うつになってから私の頭はずっとこんなふうだ。
たくさんのことを記憶することができず、すぐに容量オーバーになる。

容量をオーバーすれば、オーバーしたぶんのことは見事に忘れる。
どんなに頑張っても、どんなに気をつけてもミスがなくならない。。。

体がだるい・・・重い・・・。

毎朝起きる瞬間は、まるで二日酔いの朝のような、
高熱にうなされている時のようなどうしようもない疲労感がある。

もうここ数年、体が軽いだのラクだのと感じたことはほとんどないかもしれない。

うつを患ってる間に私もどんどん歳をとり老いていく一方。
もう一生、この疲労感や倦怠感から解放されることはないのかな・・・。

夜8時半。
子供たちを寝かしつけると、体は悲鳴をあげ、
それ以上起きている気力もなく、ぐったりと横たわったままになる。

母親って何なんだろうね・・・。

子供たちの具合が悪くなれば、たとえ自分も同じ症状が出ていても看病をする。
自分の下痢が止まらないような時でも、子供たちの汚れた下着を片付け、
自分が咳き込んで苦しい時でも、子供たちが嘔吐したものを片付ける。

父親と違って、ほんとに何もかもが子供優先。
父親には逃げ場があるが、母親には逃げ場がない。
仕事は誰かが変わってくれるが、母親業は誰も代わってくれない。

わりに合わない。
なんで自分だけがこんなに苦しまなきゃいけないんだと感じることも多々ある。

心も体も疲れ果ててどうにもならなくなった頃、
ゴルゴ次男が熱を出した。

インフルエンザだった・・・。

あきらめるしかなかった。
疲れただの、しんどいだの、
そんな言葉が通用する環境には私はいない。

誰かを頼ったり、助けを求めたりすることはとても大事。
ただ、誰かをアテにし過ぎると、
思った通りに動いてもらえなかった時に、その人に対して怒りや憎しみがわく。

怒りや憎しみを持てば、自分はさらに深みにはまる。
どこまでいっても苦しいのは自分だけなのだ。
だから誰かを責めることも、自分を責めることもしてはいけない。

それが唯一、自分の精神を保っていられる方法。

虚しいと思う。。。

誰にも頼れず、不安を解消してくれる人もおらず、相談相手もいない。
どうあがいても、自分自身で乗り越えるしかないこの現実。

私は何のために子育てをしているのか・・・?

何度も何度も自問自答を繰り返す。

数日たって、ゴルゴの熱も下がり、咳も少しずつおさまってきた。
走り回って、ケンカして、すねて、いたずらして・・・。

普段だったら腹の立つようなそんな光景も、
こんな時にはホッとする。

なんだかんだいっても、結局は可愛いんだよね。。。
苦しそうにしていれば心が痛み、悲しそうにしていれば泣けてくる。

誰のためにとか、何のためにとか・・・、
そんなの考えても仕方ないんだよね。。。

クヨクヨしていないで、忘れないための方法を見直そう。

朝起きる時間を少し早くし、弁当を早めに作り終える。
書類やプリントを置く場所を整理する。

アレルギーが悪化しないように掃除もしておこう。
野菜や果物がもう少し多く食べられるように料理を工夫しよう。

疲れがたまり過ぎないように寝る時間を早めよう。

普通の人と同じようにはできない。
普通の人の何倍も頭もエネルギーも消耗する。

でも結局私は投げ出せない。。。

根気がなくて飽きっぽくて何ひとつ長続きしない性格。
世話好きでもなければ子供好きでもないし、料理も嫌い。

そんな私なのに、なぜか子供たちを見捨てることだけはできない。
どんなに嫌になっても、どんなに逃げ出したくなっても・・・。

だからコツコツとやっていく。

ため息ついたり落ち込んだりしながら・・・
それでもコツコツやっていく。。。
【2013/05/04】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(9) | page top↑
鬱々と。。。
年末頃からダラダラと体調不良が続いています。
久々に倒れ、それ以降はずっと鬱っぽさが取れません。

だいたい何が原因かは自分でわかっています。

結婚式やら葬式やらがあり、母親の干渉が続いたこと。
子供たちの怪我や病気で通院が増えたこと。

それだけ・・・。

そう・・・たったそれだけ。
それだけのことで自分は倒れる。

なんなんだろう・・・この体・・・。

常に頭の中が悲惨なことや残酷なことで占領されている。

ようやく少し落ち着いただろうかと買い物に出かけてみると、
何もしていないのに、いきなりものすごい衝撃に襲われる。

まるでいきなり顔面にボールが飛んできた時のような、
いきなり車が突っ込んできた時のような、
なんとも言えない感覚。。。。

ただレジに並んでいるだけなのに・・・。

周りを見渡しながら、ふと、
自分だけなんだろうな・・・とため息が出る。。。

パニック障害が酷かった頃は、レジに並ぶことすらできなくて、
買い物かごをほっぽり出して、泣きながら帰ることもたびたびあった。

今はまだマシ。。。
こんなふうでも・・・昔に比べればまだマシ・・・。

私は健康な世界にも不健康な世界にも居続けることができなくて、
いつも宙ぶらりん。

調子がいい時には、病的な世界は嫌だと感じる、
でも具合が悪くなれば、元気な人たちについていけず苦痛を感じる。

相変わらず居場所がない。。。

消えることのない孤独感。。。


今の家族は誰も私を責めないけど、
やっぱり家庭の中では私は常に母親でいなければいけなくて、
記憶力の衰えたこの頭と、おもうように動いてくれないこの体で、
ただただ必死に毎日を生きている。。。

自然に死ねたらいいのに・・・。
いや、私が死んだら子供たちが可哀想だ・・・。
大災害でも起きて、あっという間に家族全員死ねたら・・・。

気が付くと、そんなことばかり考えている・・・。


普通って・・・どんなんだったかな・・・。
【2014/03/06】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
それぞれの成長
相変わらず、時間の流れが速いです。。。

記事に書いておきたいなと思うような出来事はたくさんあるのだけど、
気が付くと1か月たち2か月たち。。。
結局年に数回しか更新していないような状況です。

そんなブログにも関わらず、
気にかけてくださる方がいて、ほんとありがたいです。。。


4月になり、子供たちはそれぞれ進級しました。

長男は高2、長女は小2、末っ子の双子たちも今では年長さんです。

このブログを始めた頃は双子たちはまだ1歳にもなってなくて、
一番上の長男もまだ小学生の時だったので、
つくづくずいぶん長い時間がたったんだなぁ~と感じます。



長男の時には勉強にしろ、しつけにしろ、
ゆっくりと時間をかけてできたのですが、
下にいくにつれ、かまってあげられる時間はどんどん減っていき、
双子はもうほとんどほったらかしに近い状態。

長女が宿題をする時にできるだけ双子たちも一緒にと思うのですが、
結局中途半端になって終了。。。(´□`;)

はぁ~、こんなんで来年小学校なんて大丈夫かよと心配していたのですが、
つい先日、遊んでいる子供たちの様子をふと見てみると、

えっ!!ゴルゴが本読んでる!!!Σ(`□´;)

うおおお~~~っ!!なんちゅう新鮮な風景!!

・・・そう、いちおうちょっとずつは、
ひらがなやカタカナ読めるようになってんのよね。

最近では時計もわかるようになってきたし、
確実に成長していってるのよね。。。


子育てって延々と前に進み続ける作業ですよね。

ミルクとオムツの繰り返しの日々から、
離乳食が始まって、トイレトレーニングが始まって、
やれお箸の使い方だ、自転車の乗り方だ、縄跳びの飛び方だって・・・

やっとクリアしたと思っても、その次、またその次って、
やらなきゃならないことがいつまでたってもなくならない。

だからこそ、楽しくもあり、苦しくもある。。。

子育てで一番いい時期っていつかなぁ~ってずっと考えてたんですけど、
自分にとっては、年少の頃かな。。。

もともと甘えることの少なかった長女だけど、
保育園に入って最初の頃は、なかなか私や旦那から離れることができず、
準備もせずにボ~ッと立っていたり、しがみついていたり、
慣れるまでに半年ぐらいはかかりました。

1番甘えん坊のえなりなんかは、
年中になってもまだ泣きながら追いかけてきていたし・・・(笑)

でも今は誰も離れる時に泣いたりしません。
あんなに泣いていたえなりでさえ、
門のとこまで行くと、バイバイも言わずにすごい勢いで走り去って行きます。

成長って嬉しいけど、やっぱり切ない。。。

だからこそ忘れたくないなぁ~と思います。

子供たちが「お母さんにプレゼント」って摘んできてくれるタンポポや、
書いてくれる意味不明な絵のあたたかさ。

「お母さんとずっと一緒にいたいなぁ~」って言ってくれる優しい言葉。

前に進むことばかりにとらわれているとつい見落としてしまうけど、
その時その時にしか見られない子供たちの姿、
頼りなかったり、幼かったり・・・・
そんな「今」しかない貴重な時間を大事にしていきたいと思います。

長男の時には、保育園で作ってくる制作物なんて邪魔でしかなかった。

でも今はわかるのです。

ぐじゃぐじゃの線だけだったのが、
丸になり、顔になり、車になり・・・だんだんと上達していく絵。

最初は、渡された物をくっつけるだけだったのが、
自分で切るようになり、考えて形を作るようになり・・・

そのひとつひとつが、もう一生味わうことのできない成長の瞬間だったのだと。。。

子供たちの作り上げるガラクタの山は、
どんな立派な既製品よりも価値のあるものなんだと。。。



「死」というものも少しずつ理解できるようになってきた頃、
不安そうな顔をして長女が言いました。

「お母さんもいつか死んじゃうの?」

「そうだね・・・皆いつかは死ぬんだよ。」

「お母さんが死ぬなんて嫌だよ・・・(´ω`。)」

今にも泣きだしそうな長女の頭をなでました。

「大丈夫。そりゃあ~いつかは死ぬけど、それはまだまだずっと先の話。
長女ちゃんがシワくっちゃのババァになるまでは生きてるわいっwww」

「え~~っ!シワくっちゃのババァになるの嫌だぁ~~!wwww」



自分を想ってくれる人がいてくれるってあったかいですね。

私もずっと子供たちにとってあたたかい光であり続けられたらいいな。。。
【2014/04/18】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
洞窟
ここ数年、旦那は転職したり、勤務体制が変わったりで
何かと変化が多かった。

旦那が仕事のことでいっぱいいっぱいになってしまうと、
家のことなど考えている余裕はないので、
自然と家事や育児はほとんど私ひとりが責任を負う形になる。

学校の行事に出かけたり、必要な持ち物を揃えたり、
今日は耳鼻科、今日は小児科、今日は皮膚科・・・
こなしてもこなしても、やらなきゃいけないことは減っていかない。

それでも倒れるわけにはいかないから、
倒れる寸前の状態をどうにかこうにかキープして・・・。

そんな生活が何年も続いているうちに、
旦那は私が病気だということもすっかり忘れてしまったようで・・・。

先日大喧嘩をした時に
「鬱でどんな症状が出るのかわからないの?」と聞いたら、
「わからない」と言っていました・・・(-_-;)

そんなもんだよね・・・。
鬱だということを理解したうえで結婚したとはいえ、
何年たっても治らないものをいつまでも気遣ってなんかいられないよね。

私も鬱であることなんて忘れたいよ・・・。
普通の人になりたい・・・。

でもやっぱりダメなんだよね・・・。
どんよりとしたこの世界から抜け出すことができない・・・。

どれだけ動き回っても遊びに行く元気のある旦那と、
どれだけ休んでも過呼吸を起こして倒れてしまう自分。

普通に会話ができて普通に電話ができる旦那と、
会話や電話をしただけでひどい疲労感に襲われる自分。

その違いはあまりにも大きい・・・。

誰とも会いたくなくなって、何もする気力がなくなって、
ただ落ち込んで・・・落ち込んで・・・落ち込んで・・・。

自分に親切にしてくれる人たちにすら、
拒絶反応を起こしてしまうようになる。

1か月たっても2か月たっても3か月たっても・・・
いつになったらまともな状態に戻れるのかすらわからない・・・。
そんな自分に腹が立つ・・・。

なんでだ?なんでだ?なんでだ?

心も体も自分のもののはずなのに、
心も体も何ひとつ自分の言うことをきいてくれない。

私は落ち込みたいわけじゃない。
私はひきこもりたいわけじゃない。

それなのに・・・
また今日も無気力な自分がいて、
疲れ果てて横になる・・・。

いつになったらこの疲労感から解放されるんだろうか・・・。
鉛のように重いこの体・・・。

何をしてても虚しさに襲われる・・・。
消えることのない孤独感と寂しさ・・・。

この場所から出たい・・・。
こんな場所にいたくない・・・。

それなのに・・・それなのに・・・

私は一生この真っ暗闇の中に居続けなければいけないのか・・・?
【2014/10/21】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
お墓の話?
時々長女は思い出したように、

「お母さんはいつまで生きてるのかなぁ~?
死んじゃったら嫌だなぁ~」というようなことを繰り返し言います。

そのたびに私は、
「女の人は80歳ぐらいまで生きるんだよ~。だからあと40年。
40年っていったら、長女ちゃんが今の私ぐらい
シワくっちゃのババァになってる頃だよ~(>m<*)ぐふふふ」
と、返事をします。

先日もそんな話をしていると今度は、
「私、お母さんが死んだら、お墓のお掃除して、いつもキレイにしといてあげるね。
お母さん、キレイなほうが嬉しいでしょ?」
と長女が言いだしました。

するとそれを聞いたゴルゴが、
「じゃあ俺はバラの花を飾ってあげる。お母さん、キレイなもの好きでしょ?」

そしてさらにそれを聞いて今度はえなりが、
「じゃあ僕はチョコレートを持ってく。お母さん、チョコレート好きでしょ?」

どうやら私のお墓はとても賑やかな風景になっているようです(笑)
自分が死んだ後も、自分のことを想ってくれる人がいるって幸せなことですね^^


おととしの年末に体調を崩してから、ずっと体調不良が続いています。
過呼吸を起こしたり、パニックの症状が出たり、鬱の思考に飲み込まれたり、
日々の生活はただただ苦しい症状に耐え続けているだけで、
なかなか良い方向へ進もうとしません。

先日、ついイライラして怒鳴ってしまったことがありました。
その時、ゴルゴが

「お母さん、どうしたの?いつものお母さんらしくないよ。」
と言いました。

私らしくない・・・。
イライラして怒っているのが私らしくない・・・。

なんだか不思議な感じがしました。

私は鬱だけど、子供たちの目には明るいお母さんに映っているのだろうか?
自分が思っている以上に、上手に笑えているのだろうか?

それならよかった・・・・(^ー^)

長女もゴルゴもえなりも、私の病気のことを知りません。
できればこのまま、知らないまま大きくなっていってほしいと思います。

病気に耐えながら苦労して子供を育てた母親じゃなく、
私は普通のお母さんでありたい。

子供と一緒にいることが嬉しくて、毎日楽しそうに笑っている・・・
そんな母親だったと子供たちの記憶に残ったらいいな・・・と。

「お母さん、いつもおいしいお料理作ってくれてありがとう~」
「お母さん、大好きでちゅ~」

なぜかえなりは何度もニコニコしながらこの言葉を言ってきます。

私は料理が下手なので、おいしくない日のほうが多いと思うんですけどね(笑)
与えた愛情以上に、たくさんの愛情を返してくれる子供たちです。

病気を抱えての生活は本当に苦しい。
ただ幸か不幸か、どれほど苦しくてもどれほどツラくても死ぬことはない。
自分でその道を選ぶことさえしなければ生きていられるのだ。

もうすぐゴルゴとえなりも小学生になります。
また忙しい日々の始まりです。

寿命を全うするまで、どうにかこうにか生きていかなければ・・・p( ̄^ ̄)q
【2015/01/20】 | うつ病奮闘記⑧ | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
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