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地獄、再び・・・
私がうつ病のまま産み、うつ病のまま育てた長女は2歳になった。
時間がたつのは本当に早い・・・。

長女だけならなんとかなったかもしれない。
買い物に行くのも、散歩に行くのも、
長女だけを連れていくのなら、今は楽勝だ。

でも我が家には双子がいる。
とても1人では危なくて3人一緒には連れて行けない。

食事の世話も、オムツを替えるのも、着替えをさせるのもいつも3人分。
お風呂も3人洗ってやらなきゃいけない。

わかってたことだ、覚悟して産んだはずだ。

だけど、私はそんなに強くない・・・。

鉛のように重い体にムチを打ち、爆発しそうなストレスを押さえ込み、
あともう少し、あともう少し・・・。
1日が終わると、今日もなんとか乗り切れたとホッとする。
そんな綱渡り状態がうつ病にとっていいはずがない。

だけど、どうしても旦那や長男にはこの苦しみが伝わらない。。。

できて当たり前だというのか?
そうするしかないから仕方がないというのか?

耐えてくれ・・・頑張れ・・・

もうそんな言葉は聞き飽きたよ。

なぜ苦しいという私の訴えは無視される・・・?
なぜ助けてくれという私の言葉は聞いてもらえない・・・?

私は誰を頼ればいいのか・・・?

「奥さんがお子さんを殺しました」

そんな連絡が入るのを職場で待っているのか・・・。


「苦しすぎる・・・。」へつづく
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【2009/03/11】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
苦しすぎる・・・。
私はできるだけうつ病で苦しんでいる人のものだけでなく、
うつ病の人をケアする側のブログも読むようにしている。

それは、ケアする側がどんなことが苦しくて、
どんなことがわからないのかを知るため。

ちょっとした冗談のつもりで放った言葉でひどいうつに陥った・・・
気分転換させようとしても、まったく動こうとしない・・・

だんだんと話しかけることが怖くなる、嫌気がさしてくる。
おもわず、「しっかりしろよ!」と怒鳴りたくもなるだろう・・・。

私はうつ病になってからあまり人の顔がちゃんと見られない。
いや、しっかり見ようとしても頭に入らないと言ったほうがいいのか・・・。
形や遠近感がきちんと把握できないようだ。

そんな私が覚えているのは、私に怯える旦那の顔。
苦痛にゆがみ、困り果てた旦那の顔。

この苦しみを理解してくれと言うのはやめた。
私にだってガンや白血病の苦しみがわからないように、
誰だって経験したことがないことはわからないのだ。

でもだからといって皆、
重い病気にかかった友人や家族を見捨てるのだろうか?

たとえ、治療法がなくても、残りわずかな命でも、
精一杯励まし、支えようとするのではないのか?

無理だとわかっていても希望を持たせたり、夢を見させたり・・・。
そうやって最後の最後の瞬間まで幸せを与え続けようとするんじゃないのか?

私はもう家を飛び出しても追いかけてきてももらえない。
「おはよう」の言葉もなければ、食事も出てこない。

元気な時は優しいが、具合が悪くなると手のひらを返したように、
旦那も長男も冷たくなる。

そして、旦那が仕事に行く時間や、長男が遊びに行く時間は、
無条件に私のもとに3人の乳幼児が置いていかれる。
調子がいい悪いなんて関係ない・・・。

それは私がどんなに重い病気になっても変わらないんだろうな・・・。
「うつ病程度ならいいかと思った」というのなら、
あまりにもうつ病のことをバカにしすぎている・・・。


「春の嵐」へつづく
【2009/03/11】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
春の嵐
久々に我が家に大嵐が吹き荒れた。
爆発するきっかけになったのは、長男のとった些細な行動。

夕方、遊びに出かけると行って家を出たはずが、
いつの間にか帰ってきて部屋で寝ていたのだ。

長男にとっては、気が変わったから出かけるのをやめた・・・
ただそれだけのことだった。

でも、帰ってきたことを知らなかった私は、いつものように、
グズる3人のチビどもの面倒をみながら晩御飯の支度。

いい加減腹が減って泣き止んでくれない。
時計を見ると、もうとっくに6時を過ぎている。
何やってんだ!
・・・ここで1回目のプチッ

その後、仕方がないので1人で双子に離乳食を食べさせ、
長女の相手もしながら晩御飯。
それが終わったらお風呂。

もう時計は7時になっている。
なんで帰ってこないんだ?
・・・ここで2度目のプチッ

外に様子を見に行くと自転車が停まってる。
どういうことだ?

急いで部屋を見に行くとベッドで寝てる。

どういうことだ!!!!

私がせっせせっせと晩御飯の支度やらこいつらの面倒やらみてる間、
てめぇ?は部屋でグースカピーか??? ふざけんな!

もうこれで完全にブチ切れ状態。

なんでそうなっちゃったかわかりますか?


「狂わされる思考」へつづく
【2009/03/13】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
狂わされる思考
うつ病なのに、時々人が変わったように暴れる、キレる・・・
多かれ少なかれ、そういう人はいると思います。

でも周りの人には、なんで突然怒り出したかわからない。
些細なことでなんでそこまで破壊行動にでてしまうのかわからない。
とても理解に苦しむところだと思います。

今回の長男のとった行動も、特別ひどいことではありません。
よくあることです。

では、なぜそこまでブチ切れたのかというと、
それ以前から、私は長男に対して不満を溜め込んでいたからです。

離乳食を3回に増やしたところで、立て続けに全員が風邪をひき、
おまけに次男の夜泣きがたびたびあって寝不足状態。
完全に私の体は悲鳴をあげてしまっていました。

そして長男は私のそんな状態に気づくはずもなく、
自由気まま、子供らしくワガママに行動し続ける。

疲れているのだから、素直に長男に手伝ってもらえばよかったのですが、
ここでまた私のいつもの悪いクセで、

無駄な気遣いが出てしまったんです。

まだ子供なのにあまり手伝わせるのは申し訳ない。
遊ぶ時間が減るのはかわいそうだ。
・・・そうやって遠慮してしまってたんです。

そして、それとは裏腹に、「手伝ってくれない」「思いやりがない」
そういう悪いほうの種火もずっとくすぶり続けている。

でも、結局体が耐えられなくなり、精神も耐えられなくなった・・・。

そこに、私の人格障害的な部分が出て、
長男のとった行動を見て、

「嘘をつかれた」「騙された」と受け取ってしまった。

これがとてもやっかいで、一度爆発してしまうと、
もう自分ではなかなか意思のコントロールができないのです。

自分を騙す悪い人、裏切り者、自分を見捨てた・・・。

現在の自分とは関係の無い、
どちらかというと過去の自分が受けた傷、過去の記憶が、
現在の自分の中に浸入してきて、すべてを乗っ取られてしまう・・・。

私のように暴れまわることがない人でも、
些細な誰かのひと言や行動で激うつになり身動きがとれなくなる、
本来の自分とは違う思考に洗脳されて抜け出せなくなる・・・。
何度もそういう経験をしているのではないでしょうか?


「第2の失敗」へつづく
【2009/03/13】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
第2の失敗
第2の失敗は、私と長男の間に入り解決の手伝いをするべき旦那が、
「たいしたことない」という判断をして、問題を放置してしまったことです。

気分転換に外に連れ出してくれたので、おしいしいギョーザを買いました。
多少は落ち着きました。
でも家に帰って長男の顔を見ると、嫌な出来事がぶり返してくる。

そうやって時間がたつごとに、自分の中の膿がどんどんどんどん増えていき、
増幅した怒りで完全に自分を見失い、とうとう大噴火・・・。

毎度のごとく、暴れまわり、暴言を吐き、殴りかかる。
茶碗を割り、階段から飛び降りる、包丁を振りかざす。
あっという間に地獄絵図です。

もう止められません。。。  


旦那には何度も話していました。
どんな小さなことでも異変に気づいた時には早急に解決するように・・・と。

でも、
「ここのところだいぶ調子も良かったし、もう昔のようには戻らないだろう・・・」
そう旦那は判断した。

傷口の見えない心の病気の1番難しいところです。

私は自分の体の異変に気づいていました。
体のあちこちが痛い・・・頭痛がする・・・めまいがする・・・
暑さ寒さの感覚が狂ってきた・・・

でもそれらはみんな、見ている人には何もわからない。

少々調子が悪くても当たり前。
それでも毎日やってるんだから大丈夫。

伝える側の私が伝えず、見る側の旦那が気楽に考えすぎた。
今まで何度も繰り返してきた失敗です。。。

疲れ果てた私はどんどん被害妄想が大きくなり、
助けようと思っていた長男も最後には、
「手伝いは嫌だ!病気のことなんてわからない!」と言い出す始末。

うつ病の側と看病する側の真っ向からの対立です。

どうしてこうなってしまったのでしょうか?
いったいどうすれば良かったのでしょうか?

第三者としてこのブログを読んでいればわかると思います。

会話が足りないのです。

私もずっと勘違いしていましたが、
私が伝えるべきことは病状ではないのです。

ここがこれだけ苦しい、ここがこれだけ痛い、
そんなもんはどれだけ伝えても、本人じゃなければわからないし、
逆に言われた方も理解できないことに苦しむだけです。

私が伝えなきゃいけないのは、
何に不満をもっているのか、何が不安なのか、何を悩んでいるのか・・・
それが解消されない限り、どんなに気分転換をはかったって、
心も体も良い方向には向かないのです。


「鎮火」へつづく
【2009/03/14】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
鎮火
長男は長男でお手伝いをしようと思ってもついサボッてしまう自分、
遊びたい誘惑に負けてしまう自分と戦っていました。

頑張ろうと思ってもうまくいかず叱られる日々。
そんな中でだんだんと「お母さんは仮病なんじゃないか?」
「自分がやりたくないから僕に押し付けているんじゃないか?」
そんな疑問も抱き始めていたようです。

ただただお互いに暴言を吐き続けるだけの罵りあい。。。
でも、何かの拍子でこんな話になった。

「私は長女を妊娠した時に薬をやめた。
ODをしてしまう時の自分はもう自分の意思では止められず、
大量に飲んだ後は記憶も定かじゃない。
車に乗ってぶつけたこともあったし、
そんな状態では長女の命の保障ができない。

長女を守るために薬をやめ、それから薬に頼らず、医者に頼らず、
少しでも良くなるように、失敗しても失敗しても、
何度も何度もいろんなことに挑戦してきた。
そして今、こうして生活してる。

うつ病でいっぺんに乳幼児3人の面倒みれるか?って聞いたら、
どこの医者だって絶対無理だ、不可能だって言うと思うよ。」と私。

「じゃあなんでお母さんは出来るの?」と長男。

「お前らを育てたいからだろうが!
私の意地だ!
どこの誰がどんだけ無理だ、不可能だって言ったって、
私は育てたいから育ててる!
そして今こうやってコイツらここで元気に成長してる。
誰にも文句は言わせん!」

・・・長男が・・・泣いた・・・。

長男には改めて病気のこと、今はまだ助けが必要なことを話し、
素直に協力を求めた。


うつ病になると様々な壁にぶつかる。
たくさんの人を傷つける。

でも、だからこそ・・・
もっともっとたくさん努力をして、必ずうつ病を治す。
「共存」なんていう妥協は私は絶対しない!

そして本当の幸せを・・・
過去の自分なんて忘れてしまうくらい・・・幸せな毎日を・・・
私を支えてくれたこの家族と共に歩みたいのです。


・・・ところで・・・その頃旦那はどうしていたかと言うと、
「いちいち口を挟むな!黙っとれ!」と私に怒鳴られ、
小さくなってチビたちの面倒をみていました( ̄∀ ̄;)


「4月1日」へつづく
【2009/03/14】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
4月1日
今日で、今の家に引越してきて、まるっと1年がたつ。
引越してきた当日は、期待と不安と疲労でなんだか落ち着かなかった気がする。

長男は新しい学校でうまくやっていけるだろうか…?
隣近所の人たちと仲良くやっていけるだろうか…?
双子は無事に生まれてくるだろうか…?

何も先が見えない。。。

大きく前に転ぶのか、
逆に取り返しのつかないぐらいどん底に落ちてしまうのか…。
とても大きな賭けだった。

そして1年後の今日現在。

前日から泊まりに来ていた長男の友達もいて、我が家は朝からワイワイガヤガヤ。
昼食は双子と長女が相変わらずの暴れっぷりでしっちゃかめっちゃかの大爆笑。

昼寝をさせようと寝室でゴロゴロしていると、外から呼び声が…。
「雨が降ってきたよ」と右隣のオジサンが教えてくれた。
洗濯物を取り込みに行くと左隣のおばちゃんも気さくに話しかけてくる。

以前の私だったらきっとこんなやりとりも嫌でたまらなかったんだろう…。
でも今は、自分は孤独ではないのだと改めて実感し心が温まる。

ここに引越してきた後、一時的にうつが悪化し、もうダメだ、
やっぱり引越しなんかするんじゃなかったとひどく後悔していた時期があった。

苦しくて…苦しくて…
生きていて良かったと思える日なんてくるのだろうか…と、
死にたい気持ちに負けそうになることも何度もあった。

でも、今つくづく思う。

生きてて良かった(^ー^)

子供たちのこんな笑顔も見ずに、
苦しさに負けてしまっていたらどれだけ後悔しただろうか…と。

うつ病になって本当に苦しかった。
でもうつ病になったおかげで、本当に自分が生きやすい場所を手に入れた。
本当に欲しかったものを手に入れた。

感謝。。。


「なぜ私は苦しかったのか?」へつづく
【2009/04/01】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
なぜ私は苦しかったのか?
長女が生まれた後も相変わらず良くなったり悪くなったりを繰り返しているだけで、
さほど目立って回復に向かっているとは思えなかった私のうつ病。

そんな状態で双子の面倒まで見るとなれば悪化するのが当然。
それがなぜ正反対に回復に向かったのか?

それは無謀とも思えるこの双子育児が、
私のストレスの根本原因となっていた部分を、
見事にブチ壊してくれたからだろうと思う。

うつ病になった原因はひとつではないが、
母親とは離れて暮らしているし、元夫とは離婚した。
休む時間も山ほどあった。

なのに何故今まで良くならなかったのか?

それはやはり、

育児そのものがストレスになっていたから。。。

長男育児でつまづいた私は挽回したくても立ち直るきっかけもなく、
もう何をどうしたらいいのかわからなくなっていた。

自分のどこがいけなかったのか?
なぜこんなに苦しくなってしまうのか?
いったいどうすればラクになれるのか?

それが双子と長女を同時に育てていく中で、
長男育児の失敗の原因、苦しかった原因が見えて来たのだ。

このブログの中でも数多く、「長男の時はこうしていた」と書いてある。
もちろん、全部が全部間違っているわけではなく、
育児の世界では当たり前のこと、当然やらなくてはいけないことだったりする。
しかし、その常識や固定観念がずっと自分を苦しめていた。

育児でなぜこんなにも苦しくなってしまうのか?
他の記事と重複する部分も出てきますが、
少し私なりにまとめてみたいと思います。


「初めての育児が苦しかった理由・その1」へつづく
【2009/04/04】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
初めての育児が苦しかった理由・その1
初めての育児が苦しかった理由・その1

「環境の悪さ」

長男の乳児健診(3?4ヶ月頃)に行った時なんですが、
この頃って、どこのお母さんも寝不足で疲れ果てていますよね。

それが健診で2時間くらい待たされるわけです。
子供はぐずるし、体はガタガタ・・・。

そんな中で1人のお母さんが
「腰が痛くて抱っこしているのがツライのでベビーカー持ってきてもいいですか?」
と、係りの人に聞いたら、

「それぐらい我慢しなさい!と、お叱りの声が・・・

「もうお母さんになったんだから、これぐらいで弱音吐いてどうするの!」・・・と。

まぁ・・・この地域だけなのかもしれないけど、
当時は結構厳しかったんですよね。。。

具合が悪くなって病院に連れて行っても、
母親の管理が悪いような言い方をされたり・・・。

初めての育児で不安だらけの中、とにかく叱られることばかり。
どんどんどんどん自信なんて無くなってしまいますよね(ノ_・。)

子供なんてどんなに気をつけていても風邪ぐらいひくし、ケガだってする。
皮膚がかぶれたり、流行性の病気にかかったり・・・。
でもその度に自分はダメな母親なんだという烙印を押され、弱音も吐けない・・・。

こんな状況だったので、とても育児を楽しむどころではなく、
ひたすらミスをしないように、どんどん神経質になっていきました。

風邪をひかせないように、肌は常に清潔に・・・。
誰かに育児を代わってもらいたくても、具合が悪くなった時に叱られるのは自分。
そう思ったら、どんなに疲れてても預ける勇気も出ない。。。

朝から晩まで子供と1対1で向き合い、
ピリピリと神経を張り詰めた状態。

育児なんて何も楽しくない・・・逃げ出したい・・・

そんな気持ちが日々自分の中に募っていくばかりでした。。。


「初めての育児が苦しかった理由・その2」へつづく
【2009/04/07】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
初めての育児が苦しかった理由・その2
初めての育児が苦しかった理由・その2

「孤 独」

病院や健診で嫌な事を言われたとしても、その愚痴をを聞いてくれる人がいたり、
自分の気持ちに共感してくれる人がいればまだ救われます。
でも当時、元夫は「子供の泣き声がうるさい」と言って家に寄り付かない状態でした。

元夫にしてみれば、母親にとって子育てなんてものは生活のごく一部で、
妻として家事をこなし、嫁として姑と上手くやって初めて一人前。
そのすべてを完璧にこなすのが最低限のレベルだという考えでした。

その当たり前のことができない私は、
減点方式でどんどん評価が下がるという感じ。

それでも生後6ヶ月頃どうしてもツラくて、
姑に「短時間でいいから預かってほしい」と頼んだことがありました。

姑はいったんは引き受けたものの、預けて10分もたたないうちに、
「泣き止まないから引取りにきてくれ」と連絡が・・・。

「3歳頃までは母親じゃないとダメだね」・・・と。

姑がこんな調子なので、その息子である元夫も、
何かにつけて「どうせお前じゃなきゃ泣き止まないから」と、
ほとんど面倒をみなくなってしまいました。

子供が寝返りをうつようになっても、ハイハイをするようになっても、
誰も一緒に喜んでくれる人がいない。。。

歩けるようになっても、話せるようになっても、
喜んでいるのは自分だけ。。。

この子はこんなに可愛いのに・・・
こんなに頑張って成長しているのに・・・

世界の中で、自分と長男の2人だけが取り残されているような、

どうしようもない孤独・・・。

当時は赤ちゃんをあやす方法もわからず、
泣いたらただひたすら抱っこをしていました。

腕が痛い・・・足が痛い・・・腰が痛い・・・。
1分でも1秒でも長く寝ていたい、ほんの少しでも横になっていたい・・・。

そんな状態なので、寝る時間を削ってまで友達に会いに行く元気もなく、
誰とも言葉を交わさない日はどんどん長くなり、
ますますひどい孤独に陥っていった。。。


「初めての育児が苦しかった理由・その3 」へつづく
【2009/04/08】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
初めての育児が苦しかった理由・その3
初めての育児が苦しかった理由・その3

「くだらない見栄」

テレビの中では綺麗に着飾った人たちがたくさんいて、
結婚していない同級生たちはバリバリ仕事をしていて・・・。

それに比べて私ときたら、朝から晩まで赤ちゃんの世話ばかり。
ミルクくさい服を着て、うんちの処理をして、ヨダレをふいて・・・。

こんな生活嫌だ・・・。

当時私はまだ若かったので、まだまだ母親になりきれていなかった。
まだまだ遊びたい。オシャレもしたい。

でも現実は朝から晩まで家事や育児に追われる生活で、
日に日に自分が老けていくような気がしていた。

同じアパートの人が「一緒にお茶でもどう?」と何度か声をかけてくれたが、
いかにも「ママ生活を満喫してます」という感じが気に入らなかった。

あんなふうにはなりたくない。
道端で立ち話する暇があったら働きに出ればいいのに・・・。

元夫や母親からの影響もあって、当時は私も専業主婦をバカにしていた。

だから本当はわからないことだらけ、不安だらけだったのに頼りたくなくて、
「余裕で育児やってます」というフリをしていた。

誰かに弱音を吐きたい・・・。
愚痴をこぼしたい・・・。

心の中ではそう思いながら、誰にも本音を話すことができず、
その不安を解消するためにどんどん長男育児にのめりこんだ。


「初めての育児が苦しかった理由・その4」へつづく
【2009/04/27】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
初めての育児が苦しかった理由・その4
初めての育児が苦しかった理由・その4

「社会とのズレ」

どんなに大変だと言っても、やはり自分の子どもは可愛い。
危険なものからは守ってやり、良いものはたくさん与えてやる。

子どもが社会へ出てから苦労しないように、恥ずかしくないように、
教えられることもできるだけ教えてきた。

しかし、いざ保育所に入ってみると、そこにはマニュアル育児などとは無縁の、
好き放題、やりたい放題の子どもたちが溢れかえっていた・・・。

「貸して」も言わずにおもちゃを取り上げる子、
理由もなくシャツを引っ張ったり、物を投げたりする子。

なんなの!この子たちは!
なんで皆きちんとしつけしないの!


自分が今まですべての愛情を注いできた子どもが傷つく姿を見るのは、
言葉にできないくらいのショックだった。

今までだったら私が間に入って止めていた。
でも保育所にいる間はどうすることもできない・・・。

「押されて倒れた」
「遊んでって言っても遊んでくれない」

長男のそんな言葉を聞くたびに心が痛んでどうしようもなかった。

もう辞めさせたい・・・。
そんなとこ行かなくていいよ・・・。

ほとんど2人っきりで過ごした温かい3年間は、
社会との大きなズレを作ってしまっていた。


「初めての育児が苦しかった理由・その5」へつづく
【2009/04/28】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
初めての育児が苦しかった理由・その5
初めての育児が苦しかった理由・その5

「欠点が許せない」

赤ちゃん時代というのは、ある意味放っておいても成長する。
ただ寝る、泣く、飲むを繰り返していただけだったのが、
寝返りを打つようになり、歩くようになり、話すようになる。

ストローで飲む練習、着替え、オムツのトレーニング・・・。
かかる時間は違っても、いつかは皆同じようにできるようになる。

しかし、年齢が上がっていくにつれて、得意不得意が出できて、
どれだけ練習してもできるようにならないことが出てくる。

自分だって、何から何まで器用にこなしていたわけではなく、
むしろ、苦手なことが多い、なんの取り柄もない子どもだった。

しかし、赤ちゃん育児からの延長なのか、いつのまにか、

「何でも練習すればできるようになる」

という思い込みができてしまった。

そのため、ご飯の食べ方、箸の持ち方などの日常的なことから、
うんていや鉄棒などの運動、楽器の演奏から絵の書き方まで、
すべてのことに対して、「やればできる」と言うようになってしまった。

何でも簡単に投げ出し「できない」と言う長男に、
「練習しないからだ」「根性がない」などという言い方もした。

言われる長男のほうも、やる気を出すどころか反発したり、グズグズしたり・・・。
そんな態度にさらに怒りがこみ上げる。

「あんたのためを思って言ってるのに!」
「あんたのためにやってあげてるのに!」


気がつけば、大嫌いな母親と同じ言葉まで使っていた。

「どうして○○ちゃんのようにできないの!」

大事に大事に育ててきたはずが、どんどんどんどん亀裂が入る・・・。

頑張れば頑張るほど空回り。
頑張れば頑張るほど悪い方向に進んでいってしまう。

いったいどうすればいいの・・・?
私のどこがいけないの・・・?
こんなに頑張ってるのに・・・。

深い深い迷路に迷いこんでしまったような気持ちだった。。。


「できなくていい」へつづく
【2009/05/02】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
できなくていい
双子が生まれるまでは、私は長男育児の苦しみから抜け出せていなかった。
だから、長女のことも長男と同じように育てようとしていた。

毎日散歩に連れて行き、部屋は常に清潔に・・・。
しつけをしっかり、病気をさせないように・・・。

でも、うつ病と闘いながらの育児は思うように体が動かず、
そのことが新たな悩みとなった。

それが双子が加わったことにより、

「頑張ればできる」ことも「絶対不可能」に変わった。

毎日散歩も無理、部屋を片付けている暇もない。
オムツとミルクだけで精一杯で、しつけだとか余計なことを考えてる暇がない

泣いたら抱っこ? 寝かせるのも抱っこ? 顔を見ながら授乳?

3人いたら 絶対無理・・・

こんなことでいいんだろうか・・・?
これできちんと育ててるって言えるんだろうか・・・?

でも、そんな不安を吹き飛ばしてくれたのが、双子たちの順調な発育だった。

アレルギーや特に心配な持病もなく、いたって健康体。
ニッコリ笑うようになり、他人と家族の区別がつくようになり・・・。

泣かせてる時間が少々長くても、母親からの愛情をあきらめるわけでもなく、
必死でアピールし続け、抱っこしてもらった時には満面の笑み・・・(*´∀`*)

そっかぁ・・・。

きっと私は無駄に頑張りすぎていた・・・。

そこから育児に対する考え方が劇的に変わりはじめた。。。


「家事は遊び」へつづく
【2009/05/05】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
家事は遊び
3人も乳幼児がいると、外出するのもひと苦労
長女は好き放題に逃げ回るし、双子用のベビーカーは重くて片手では無理。

結局1人で無理に連れて行っても危ないだけなので、
旦那がいない日はなかなか外出もできない。

そこで時間つぶしに考えたのが、

子どもたちが起きている時間に家事をやる

長男の時には手早く済ませるため、長男が寝ている間にやっていたが、
子どもが寝ている時間は自分にとっても大事な休憩タイム。
ぐったりするも良し、パソコンやるも良し・・・自分の好きなように使う。

そして、掃除機や部屋の片付け、洗濯物干しなど、
そういったものはあえて子どもたちと一緒に・・・。

子どもたちも、掃除機を追い掛け回したり、洗濯のハンガーを投げたり、
引き出しの中を荒らしたり、好き放題に暴れて大満足(^∀^)
長女はトイレ掃除もお風呂掃除も積極的にお手伝いしてくれる。

爪切りも、寝ている間じゃなくて起きている時に、
「おてて貸して?」と3人を順番に回る。

もちろん、皆嫌がって逃げるが、これも立派な追いかけっこ。
1度に終わらせようとせず、数日かけてのんびりやっている。
無理矢理は危ないからね(^ー゜)

昼でも夜でも、基本は

子どもが寝たら自分も寝る

うつ病主婦たるもの、やはり無駄な力は使っちゃいけません(笑)
疲れがとれればイライラも減ります。

じっくりじっくり手間と時間をかけた長男育児。
手抜きと知恵で乗り切ってる双子育児。

どちらの子どもたちも同じように成長していってます。
どうせ同じなら、やはりラクでイライラしない育児のほうがいいですね^^


「同じ箱には入らない」へつづく
【2009/05/09】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
同じ箱には入らない
初めての育児の時は、何かにつけて「標準」だったり、
「皆と一緒」ということにこだわっていた。

皆と違うということは、育児法が間違っている・・・
あるいは母親の出来が悪いからだという考えを持っていたのだ。

・・・いや、正確に言うと、

出来の悪い母親だと他人に思われる・・・

そのことが不安で怖かった。

でも、現在長女と双子を見ていて、育て方うんぬんよりも
生まれ持った個性というのはすごく強いんだなと実感している。

荒っぽいことはせず、わりと穏やかな性格のえなり三男。
他人のことはお構いなしに自分の道を突き進むゴルゴ次男。
頭の回転が速く、なんでも器用にこなす長女。

好きなテレビも好きな遊びも、好きな食べ物もみんな違う。
興味を持つことも、得意な分野もみんな全然違う。
こんな3人をまったく同じ枠にはめようと思っても絶対無理だろう。

同じ環境で育てていても、三男はやたらと肌が乾燥するし、
次男は首のところがムレてよく赤くなっていた・・・。
同時に風邪をひいても、片方は症状が重く、片方は軽く済んだり・・・。

何もかもが母親の責任、母親の管理の仕方が悪い、
結局はそんなものはアテにならない。

100%完璧な環境なんて有り得ないのだ。

孤独な育児をしているとどんどんどんどん視野が狭くなる。
そして知らず知らずのうちに考えが偏っていってしまったり・・・。

好きでもないことを押し付け、できなくてもいいようなことを押し付け、
個性を削り続けて手に入れた「標準」というものにどんな価値があるというのか?

何もわからないばかりに長男にはたくさん苦労をさせてしまった。
でも、だからこそこれから先は、長男の良いところをたくさん認めようと思う。
「標準」に合わせる育児じゃなく、個性を認め伸ばす育児をしたいと・・・。

それと同じように、私もまた決して「標準」である必要はない。
私は私の個性を生かした育児をし、自分の生きたいように生きればいい。

うつ病主婦ならうつ病主婦として・・・
元気になったら元気な主婦として・・・(^ー^)


「可愛い子には旅をさせろ」へつづく
【2009/05/11】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
可愛い子には旅をさせろ
大勢の子どもがいると大変というイメージを持たれがちだが、
初めての育児、1人っ子育児ならではの大変さもある。

私が1番実感しているのは、他人との関わりが持てなかったことと、
見守る勇気が持てなかったこと。

双子たちは生まれた時からいろんな人に囲まれていて、
おもちゃを取られたり、押されたり踏まれたり・・・。
眠いときに大声を出されたり、呼んでもすぐには誰も来ない・・・。

こういう環境の中にいることで、自然に打たれ強くなっていっている。

ちょっと押されたり踏まれたりされてもケロッとしてるし、
嫌ならそれを避けたり、助けを呼ぶ術が自然に身についているのだ。

また、長女と長男の決定的な違いが、覚えていく言葉の種類。
長男は「靴」「ご飯」などの名詞が多かったが、
長女は「こんにちは」「貸して」「ごめんね」など会話から覚えていく。

親がわざわざ「こういう時はこう言うんだよ」と教えなくても、
知っている人にあった時には「こんにちは」とおじぎをするし、
家族の誰かが出かけていく時には「いってらっしゃい」と手を振る。

私は長男を育てている時、あれやこれやと授業のように教え込んだ気がするが、
肝心の私が他人との接触を避け、つながりを持とうとしていないのだから、
長男だけに「もっと上手に人付き合いしなさい」と言ったところで無理というもの

また、なんでもかんでもすぐに助け舟をだしてしまったことで、
長男の自分で解決する力を削いでしまっていたような気がする。

長女も双子も、困ったことがあってもすぐに助けは来ない。
だから、例えば高い位置にある物が取りたいが取れない、
体がつっかえて前に進めないなど、自分で解決するしかない。

退屈した時も、長男は常に私に「遊んで?」とせがんでいたが、
長女や双子はせがんでもダメな時は自分で考えて遊んでいる。

可愛い我が子を助けてあげたい、守ってあげたい・・・。
だけど子どもは一生自分の手の中にいるわけではない。
だから子どもを思えばこそ、見守る勇気が必要なのだ。

私もずっと勘違いしていたが、
赤ちゃんにとって「泣く=悲しみ」ではない。

すぐに助け舟を出さずに「はいはい、ちょっと待っててね」と、
明るく返事をしてあげることできっとちょっとずつ強い子に育つのだろうと思う。

プラス思考の子どもに育てないのなら、自分がマイナス思考を捨てること。
子どもは親の説教より、親の姿を見て育つ。
だからこそ自分が変わらなければいけなかったのです(^ー^)


「巡る」へつづく
【2009/05/14】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
巡る
双子が生まれてから何度も何度も限界を感じた。
もう無理だ…。もうダメだ…。

長女だけだったらなんとかなったかもしれない。
だけど、うつ病の私が3人の面倒を見るなんて、やっぱり無理だ …。

そんな私を救ってくれていたのはたくさんのでした。

双子を連れて歩いていると、とにかくよく声をかけられる。
「大変だね」「頑張ってね」「うちの孫も双子でね…」
そんなふうに知らない人たちが声をかけてくれる。

そして、旦那や長男も育児をする時間が増えたことで、

「長女はなんでもイヤイヤで困るなぁ…」
「三男は食べるのが遅いなぁ…」
「次男の人見知りなんとかならないかなぁ…」など、

1人だったら落ち込んでしまうようなことも笑いのネタになった。

不思議なもので、同じ苦労をしていても、その頑張りを認めてくれる人がいたり、
苦しみを共有する人がいるだけで、心も体もずいぶん軽くなるものだ。
逆に言えば、だからこそ、

孤独な育児はとてもツラく苦しいのだ。

双子を産んで後悔したこともあった。
自分の選んだ道は間違っていたんじゃないかと悩み苦しんだこともあった。
だけど双子だからこそ乗り越えられたのだろうと今は思う。

双子の育児はどうあがいても誰かに頼らなければやっていけない。
孤独な状態では不可能なのだ。
気に入らなくても誰かの手を借り、頭を下げてお願いしなければいけない。

そして実感する。
手伝ってくれる人たちのあたたかさを…。

長男育児ではたくさんの苦労をした。
でもその苦労のおかげで、うつ病で頭が働かない状態でも長女の育児ができ、
苦しみながらも長女を育てたおかげで、育児のカンが戻り、
さらに困難な双子の育児を乗り越えられた。

そして双子のおかけで、私の育児の問題点、思考の歪みに気づくことができ、
長男育児の苦しみから解放された・・・。

結局私は子供たちに救われているのだなぁ…と思う。

どんなに苦しい過去であろうと、その日があったからこそ今がある。
たとえ意味などわからなくとも、たとえ価値や理由などわからなくとも、
ただ生きる・・・ひたすら生きる・・・。

それでいいのかもしれない・・・。


「うつ病ハウスの現在」へつづく
【2009/05/17】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
うつ病ハウスの現在
うつ病主婦のマイホームは、ほとんど全方位を家に囲まれている。
そのため、パジャマで庭をウロついていても見かけるのはお隣さんだけ。

この家に引っ越してきた頃は、まだ今よりうつ病患者らしい状態で、
できるだけ他人との接触を避けたかったので、ちょうど良かったのだが、
1ヶ月程前からこのうつ病ハウス近辺に異変が・・・。

まず家の西側にあった使われていない倉庫が取り壊し。
長男の友達一家がここに家を建てるという話は聞いていたのだが、
早朝から鳴り響く破壊音と、強烈な振動・・・

いやぁ・・・ビックリです・・・。

しかし、何が1番驚いたって・・・取り壊しが終わってみたら、我が家が

西側道路から丸見え状態になってる?( ̄Д ̄;)

ちょっと庭で日向ぼっこしようにも、西側道路を行き交う車、自転車からモロ見え。
道路傍でおしゃべりしてるご近所さんにすぐ声をかけられてしまう・・・

ゲロまるけパジャマの私はいそいそと家に引っ込むしかない・・・( ̄∀ ̄;)

そして、この取り壊しから約半月後、
今度は左前のおばちゃん家も建て替えのために取り壊し作業に入った。

これで、前からも、右からも丸見えになってしまった我が家
今までひっそりと人目につかないように暮らしていたのに・・・。

でも、取り壊しは悪いことばかりでもなく、右も前も建物がなくなったことで、
家の中がとても明るくなった

明るい場所にいると、それだけで元気が出ますね^^
日に当たる生活はとても健康的なんだなと実感。

今は毎日、工事の進んでいく工程を眺めています。

解体もすごく面白くて、おもわずビデオに録画してしまった私だが、
家を造っていく過程もすごく興味津々。

工事のおじさんたちが毎朝やってくるのを密かに楽しみにしている。
長女も「工事」という言葉を覚えたゾ(^Д^)


「うつ病再発か!?」へつづく
【2009/05/20】 | うつ病奮闘記④ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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