うつ病主婦の小学校時代
長男を育てていく中で一番苦労したことは、
どうやって相手の愛情を受け止め、
どうやって自分の愛情を表現すればいいのかということだった。

私は自分の親に特別ひどい虐待を受けた覚えもないが、
愛された記憶もない。

父親は典型的な亭主関白で、子供と遊んだりすることはなく、
ろくに会話をした記憶さえない。

たまに話すことといえば、「新聞持って来い」「灰皿持って来い」
常に命令口調で、家族は全員父親の召使いであった。

母親はそんな父親の世話と、人見知りの姉、末っ子の弟のことで手一杯。
私の相手をしている暇はなかった。

それでも小学校の低学年ぐらいまでは、親の気を引こうと頑張っていた。
学校での出来事を話したり、褒められるように頑張ってみたり・・・。
でも、誰も私の声に耳を傾けてくれる人はいなかった。

必要ないなら産まなきゃよかったのに・・・。

私が死んだら少しは心配してくれるかな・・・?
 
 


なんとなく、いつもそんなことを考えるようになっていた。。。

その後も部活を一生懸命やろうが、勉強を一生懸命やろうが、
親の私に対する反応は何もなかった。
友達の家を泊まり歩いても怒るわけでもない。

いてもいなくてもいい存在・・・。

姉や弟だけを連れて買い物に出掛けていく背中を何度となく見送った。

なぜ、いつも私だけ置いていかれるのだろう・・・。

寂しい気持ちはじわじわと私を蝕んでいたが、
自分は寂しいんだということさえわからなくなっていた。。。


「うつ病主婦の高校時代」へつづく
【2008/09/22】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
うつ病主婦の高校時代
高校生になると、周りには付き合っているカップルがたくさんいた。
私も人並みに告白されて付き合ったり、自分から告白して付き合ったりもしたが、
その中身は今から思えばおかしなものである。

好きで付き合ったはずなのに、
手をつないで歩いたり、肩を寄せ合って座ったり・・・
そういうことを楽しいと思えなかった。

それどころか、好きな人がエッチなことを考えたり、
実際にセックスしている姿を想像すると気持ちが悪かった。

ある意味、好きな人は私の理想の中で綺麗なままでいなくてはならなくて、
動物的な姿を見ると一気に熱が冷めてしまうのである。

私にとってセックスとは、とても醜く恥ずかしいことだという感覚だった。

でもその一方で、酒を飲んでは好きでもない男とのセックスを繰り返していた。

最初は拒んでいても、しつこく誘えば大抵は手を出してくる。
その、夢中で餌にかぶりついている犬のような男たちの姿を見るたびに、
なんともいえない征服感だったり、
しょせん男なんてくだらない生き物だと侮辱する気持ちを味わっていた。

世の中には誰も自分の味方などいない。
弱い者は負ける。
人間は裏切る生き物だ。
みんないつかはいなくなる。

卒業を目前にして、
「いつまでもずっと友達でいようね」
なんて言う女友達を心の中で笑っていた。

一生友達なんてあるわけないじゃん。。。


「うつ病主婦の父親」へつづく
【2008/09/23】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
うつ病主婦の父親
高1の時に父親が病気で死んだ。
でも悲しくはなく、むしろ嬉しかった。

父親は典型的な亭主関白で、私から見ると
母親はただの奴隷のようだった。

朝から晩までなんでも「はい」「はい」と言うことをきき、
ひたすら身の回りの世話に明け暮れる。

バカらしい。
こんな男とはさっさと別れて、
もっといい人と再婚すればいいのにとずっと思っていた。

でも、父親が死んだ後、母親は長い間泣き続けた。
そして、家計を支えるために仕事に行きだしてからは、
毎日毎日怒鳴り散らすようになった。

母親と弟のケンカする声が聞こえる度に耳をふさいで、じっと耐えた。
頭が爆発しそうだった。

休日には遊びに連れて行ってくれるお父さんが良かったな。。。
楽しいおしゃべりどころか、普通の会話さえなかったな。。。

私・・・居る場所がない・・・。

母親からの攻撃を避けるため、家では自然と
「手のかからない、明るくていい子」を演じるようになった。
それが1番ラクだった。

そして学校では執拗に担任の教師にくってかかっていた。
どこまでも追い詰めないと気がすまない自分がいた。

無意識にそうやってバランスをとっていたのかもしれない。。。


「不調の始まり。。。」へつづく
【2008/09/24】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
不調の始まり。。。
高校を卒業して1人暮らしを始めた頃に、初めて「過呼吸」になった。

「ストレスのせいだ」と言われたが、あまりピンとこなかった。

その数年後、今度は生理の出血が止まらなくなった。
無排卵を放置していたのが原因で、治療して治さないと妊娠できなくなる」
と言われ通院と服薬を開始したが、これが最悪だった。。。

毎日毎日ひどい吐き気に襲われ、ろくに食事も摂れない。
抵抗力が落ちるのか、何度もカンジタ膣炎になった。

産婦人科の待合室にはお腹の大きな妊婦さんがたくさんいた。
できちゃった結婚も多い世の中、
中には初めてのセックスで妊娠してしまう人だっているというのに、

なぜ私だけが妊娠できないのか・・・?

自分だけが欠陥品のような気がしてきた。

当時は元夫と同棲中で、いつ結婚してもいいという状態だった。
だからなおさら、テレビで昔見たことがある、
「子供の産めない嫁なんかいらない」という鬼姑の言葉が頭に浮かんだ。

普通に両親がいて、普通に結婚して、普通に子供を産んで・・・。
なぜ自分だけ、普通の幸せが手に入れられないのか・・・?

めまいも起こるようになり、病院に行くと

今度は「メニエール病」だと言われた。

原因はこれまたおそらくストレスだと言われた。

ストレス・・・ストレス・・・ストレス・・・

ストレスっていったい何なんだ??!!!

あんなに健康だった私はどこへいったんだ?
今まで滅多に風邪だってひかなかったのに。。。

何度も何度も襲ってくる息苦しさとめまい。
体重は10kg近くも減ってしまった。

もう治療は諦めるしかなかった。。。

そんな私に母親は

「子供はまだか?」 

という言葉を、長男が生まれるまで約5年間浴びせ続けた。。。


「うつ病主婦と姉の関係」へつづく
【2008/09/24】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
うつ病主婦と姉の関係
産婦人科での無排卵治療をやめて1年後、予想外に長男を妊娠した。
無理だと諦めていたものが授かったんだから嬉しいはずなのだが、
正直複雑だった。。。

産婦人科で治療していた頃、自分だけ妊娠できないことに焦りを感じ、
何がなんでも子供が欲しいような気持ちになっていたけど、
いざ妊娠してみると、自分はまだまだ母親になるには早すぎる。

なんの知識もない。心の準備もできていない。
自分が母親になる姿が想像できない。。。

どうしよう・・・どうしよう・・・。  

母親は「里帰り出産したらどうだ?」と言っていたが、
人生最大の状況の時に母親のもとには居たくなかった。

きっと毎日嫌味や愚痴を聞かされ、
立ち直れないぐらい凹んでしまうと思ったからだ。

お腹の子はどんどん大きくなり、とうとう出産の日を迎えた。
出産後、母親に連絡した。

長い間、子供ができないことを責められ続けたが、
もうこれで文句を言われることはなくなるだろうと思った。

ところが母親からの言葉は、

「1人っ子は可哀想だよ。」
「姉ちゃんのところはもう2人目が生まれてるよ。」
「あんたも早いとこ3人ぐらいは産まないとね。」

だった。。。

最後まで「よく頑張ったね」の一言を聞くことはできなかった。

母親はいつもどんな時でも姉の話を持ち出す。
だから、私はそれに精一杯応え続けてきた。

姉と同じ部活に入り部長になった。
絶対無理だと言われていた姉と同じ進学校を受験し合格した。

姉が短大に行ったから、私も短大に行った。
姉が結婚したから私も結婚した。
姉が子供を産んだから私も子供を産んだ。

それでも母親は、今度は姉が2人目を産んだからあんたも産みなさい、
子供を預けて仕事に出るようになったから、あんたも仕事ぐらいしなさい・・・って。

ねぇ・・・
私、どれだけ姉の真似をして生きればいいの?
私は私のままじゃダメなの・・・?

どれだけ頑張ったら私の存在を認めてくれるの?  

姉のコピーが欲しいだけなら、最初っから私なんて必要ないじゃん。。。


「初めての想い」へつづく
【2008/09/25】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
初めての想い
元夫のことは好きだったのかどうか正直わからない。
しつこく「付き合ってくれ」と言われ、けなしてもけなしても寄ってくるので、
なんとなく、そういうのが愛情というものなのかなぁ・・・?と思った。

一緒にいればそのうち好きになるかもしれない・・・と。

女は自分が愛しているよりも、愛されて結婚するほうが幸せだとか、
結婚するなら2番目に好きな人と・・・とか、
そういう話は何度となく聞いたことがあるから、まぁ、そういうもんなんだろう・・・と。

自分の両親の姿を見ていたせいか、結婚にはなんの憧れもなかった。
結婚式も花嫁衣装もまったく興味がなく、紙切れ1枚のことだという感覚。

結婚して最初の頃はケンカしながらもなんとかうまくやっていた。
でも長男が生まれて私は変わった。

初めて見る我が子は本当にこの世のものとは思えないほど綺麗で、
こんなに汚れのない純粋なものを見たことがなかった。

ちょっと強く握っただけでも壊れてしまいそうなそのか弱さ。
できることなら絶対に誰にも開けられないような箱にでも仕舞って、
この世のすべての敵から守ってやりたいと思った。

本当に私なんかでいいの?

悪いことばっかりしてきた私なんかじゃなくて、
他のお母さんだったら、もっと幸せにしてくれたかもしれないのに・・・。
どうすればいいんだろ・・・。

でも、子供は一生懸命泣いてミルクを求め、
なんの疑いもなく、私の腕の中ですやすやと寝ていた。
そして、私と目が合うとニッコリ笑ってくれた。

私、そんなふうに人を信用したことないよ・・・。

こんな私でも一緒にいて嬉しいって思ってくれるの?


なんともいえない気持ちがこみ上げてきた。

今までたくさん人を傷つけてきた。
嫌がられる方法はいくらでも知ってる。
でも、人を喜ばせる方法や、安心させる方法・・・知らない・・・。

すごく可愛いくて、すごく大事なんだけど、
どうやって表現すればいいんだろ・・・?
どうやったら伝わる?

私の姿が見えなくなる度に泣く長男・・・

愛情ってどうやって伝えるの?


「愛を知らない主婦の悲劇」へつづく
【2008/09/26】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
愛を知らない主婦の悲劇
変な言い方かもしれないが、長男は初めて私の存在を認めてくれた人である。
姉のコピーでもない、一生懸命明るく元気な仮面をかぶった私でもない、
ましてや、仕事の出来る自分や勉強のできる自分、運動のできる自分でもない。

何も持っていない、知識も経験もない、化粧もしていない・・・
そんな疲れきったいち主婦の私を一生懸命必要とした。

うまく説明できないが、一緒にいるだけでたくさんのものをもらえた。
だから私も精一杯それに応えたくて、たくさん勉強した。

育児書を読みあさり、講習会に出向き、
いつどんなことがあっても守れるように・・・。

健康や発達のために毎日公園に連れて行ったり、
水遊びをさせたり、砂遊びをさせたり、寝る前には本を読んであげたり・・・。
子供にとって良いとされてることはかたっぱしからやった。

将来苦労しないように、あいさつや、マナーも教えた。
本当にすべての時間を長男に費やした。

でもその一方で、元夫に対しての態度はどんどん悪くなっていった。
私は長男に対して、私と同じぶんだけの愛情をかけるように元夫にも求めた。
でも元夫はそれには応えようとはしなかった。

自分の子供なのになんで大事にしないの?

元夫への不満は日に日に大きくなっていった。

保育園に行くようになると、少しずつ友達同士のもめごとなども起こるようになる。
長男はおとなしかったので、からかわれたり手を出されたりすることも多かった。

自分の大事な長男を傷つける奴を見ると異常に腹が立った。
いじめた子供も、その親も許せない。

結果、周りの人すべてが敵になった。

守りたいのに守れない。
幸せにしたいのに・・・
長男の望む生活をさせてあげたいのに・・・

何をどうすればいいのかわからない・・・。

私が1人で空回りをしている間に家庭はどんどん音をたてて崩れていった。。。


「繰り返される言葉」へつづく
【2008/09/27】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
繰り返される言葉
元夫はまったく家庭を顧みなくなった。
仕事に出掛けたら出掛けたっきり、一緒に遊びに出掛けることもなくなっていった。

長男と遊ぶ約束をしては裏切る・・・
そんなことが何度も繰り返された。

長男は寂しくて、仕事に出掛けていく元夫の後ろ姿を追いかけて、
「仕事に行かないで!」と泣きついたりしていた。
元夫は振り返りもしなかった。

会話のない家庭。。。

母親からは相変わらず姉の自慢話を聞かされ続けていた。
2人目を妊娠することができなかった私は相変わらずの不良品扱い。

少しでも長男の良さをわかってもらうために、私の育児はどんどんエスカレートした。
長男が「僕には出来ない」と言っても許さなくなっていた。

出来て当たり前。
出来なくて困るのはあなたなのよ!
あなたのために教えてるのよ!

そんな言葉で長男をねじふせ続けた。

でも、元夫も母親も何も変わりはしなかった。
ただいつも怒られ続けた。

お前がやってることは当たり前のこと。
普通の主婦はもっとちゃんとしてる。
愚痴を言うなんて甘えてる。
もっと上手にやれ。

誰も、私や長男を見ようとしない。
頑張っても頑張っても認めようとしない。

なんだかとても疲れてしまった。。。

家族ってなんなんだろ・・・?

血のつながりってなんなんだろ・・・?


「絶望への階段」へつづく
【2008/09/28】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
絶望への階段
なんだかとても寂しかった。。。
どうしようもない孤独感に襲われた。。。

誰でもいいから、自分のほうを見て欲しい。。。
嘘でもいいから・・・。

流れ作業のように毎日が過ぎた。
完全に夜は眠れなくなっていた。

頭がボーッとしている。
何をしているのか、何を話しているのかよくわからなくなった。

気がつけば出会い系サイトに手を出していた。
ハンドルネームしか知らない・・・
そんな人達とのセックスに溺れた。

その瞬間だけ自分が生きていることを実感できた。
その瞬間だけ自分は愛されていると錯覚できた。

避妊をしようとする男達に行った。

「私、妊娠しない体だから避妊しなくていい」

こんな状況になっても、まだ母親の期待に応えようとする自分がいた。
誰の子供でもいい。妊娠してくれれば・・・。

でも結局どれだけセックスに明け暮れても私の体は妊娠することはなかった。
どれだけ相手を変えても無駄。
やはり妊娠しない原因は自分にある。。。
自らの体で、自分は欠陥商品であることを証明してしまった。

知らない男に抱かれながら思っていた。

いっそのこと殺してくれ・・・

そんな生活がどれぐらい続いただろうか・・・。
朝、仕事に行こうと思って起き上がろうとしたが起き上がれない。

何?どういうこと?

体が動かない・・・。
声が・・・出ない・・・。

私の心はとうとう崩壊した。。。


「目覚め」へつづく
【2008/09/29】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
目覚め
常に人並み以上であることを求められ続けていたのに、
結局私はゴミのようになってしまった。

最低限の家事どころか、料理も掃除も
自分の身の回りのことさえ出来ない。
仕事にも行けなくなった。

当然、元夫からはひどい怒りの攻撃を受けた。
母親はただひたすら泣いた。
「兄弟の中でも1番手がかからない子だったのに・・・」と。

もう誰の要求にも応えることはできない。
なんのために生きているのだろう・・・。

体が動くようになるとまた男に会うようになった。
帰りがけに何気なく携帯を見てみると長男からメールがきていた。

「ママ、どこにいるの?」

体中にナイフが刺さったようだった。
あの時の衝撃は今でも忘れない。

私、今まで何をしていたんだろう・・・?
やっと目が覚めた。

急いで車を走らせた。
心臓が止まるんじゃないかと思うくらい必死で走った。

ごめん・・・本当にごめん・・・。  

家に着くと、長男は待ち疲れて寝ていた。

ごめん・・・本当にごめん・・・。
本当に大事なもの、見えなくなってた。。。

親からの評価なんていらないじゃん。
ダメな父親もいらないじゃん。

私が守ってあげる。
絶対に幸せにする。

私の二の舞にはしない!  

小さな長男を腕に抱き、強く誓った。
もう誰の言いなりにもならない。
私は私の道を生きていく!

今まで本当にごめん。
私、絶対変わるから!

こうして私とうつ病との本格的な闘いの日々が始まったのである。
【2008/09/29】 | うつ病主婦になるまで | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
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